私は、5年程前に双極性障害Ⅱ型という診断をくだされました。
今では自分を精神障害者なのだと自覚していて、必要な時には躊躇することなく手帳を提示し精神障害者なのだと伝えます。いえ、伝えられるようになったと言った方が適切かもしれません。
まず精神障害者になる前、健常者だった頃の事を書きます。
私の周りには鬱病、双極性障害の方が居ました。
友人、お世話になっている方、SNSで知り合い交流を深めた方。
mixiが流行っていた頃でしたのでそこでの交流が多かったと思います。
その方達を通して、精神障害とはこんなにも辛いものなのかと知って驚きました。
当時、僅かながら知識は有ったと思いますが私の想像以上に生きる事が辛いのだと、その人達はこの世がとても生きにくいのだと知りました。
その後、私は精神疾患についてもっと知りたい、出来る限り理解したい!! という気持ちが溢れてきました。と言ってもインターネットの検索機能で調べているだけです。信じていいものなのか分からない曖昧な情報を鵜呑みにしてただけです。
鵜呑みにするくらいですので知ったかぶりです。いくら知りたい理解したいと思ったところで健常者には分からない事がたくさんあります。
SNSにどっぷりハマっていた当時の私、精神科通院をするまでにそう時間は掛からなかったと思います。
では、私が精神障害者になるまでの具体的なお話に入りたいと思います。
当時パートをしていました。
1日8時間程の勤務。チェーン店なのですが、私が勤務していた店舗は長く働いている方ばかりで、1年経過してもまだまだ覚える事はたくさんあり、新人扱いでした。
私の後にも数人入ってきましたがすぐに辞めてしまいました。なので私はずっと新人扱い、そこに甘えていたのです。
みなさんとても優しい方達でした。
ある日突然、店長が変わる事になりました。
妻子持ち、年齢は1つ上、蛇のような目をしていて私はそれが苦手でした。恐らく最初から何かを感じていたのではないかと思います。
チェーン店では店舗ごとに多少やり方が違う事は珍しくないと思います。
私が今まで一度もしたことが無かった、というよりそのようなものが存在する事すら知らなかった仕事が有りました。
何故知らなかったのか。
言い訳になりますが、毎日入ってくる新しい情報を頭に入れ今までの情報も頭に入れ覚える事がとにかく多い仕事だったので、ベテランさん達がやっていたその業務に気付くことができなかったのです。
そしてベテランさん達がその業務を教えてくれなかった理由は、新人に1から教えるよりもベテランがやった方が早くてミスが少ない。
ベテランさんの仕事が増えても、新人に教えてやらせるよりはマシといった感じだったと思います。
その事実を知ったのが新しい店長が来てからでした。
そんな状態を知り、勤務して1年経つのにその業務を知らない、出来ていない事に呆れられました。
怒鳴りつけられ罵られ、仕事ができない奴だと笑われました。
その日の出来事で私の店長に対する嫌悪感、恐怖はとても大きなものになっていました。
これからどうやって働けばいいのだろう。怖いけれど仕方ない私にも非がある、やるしかない、頑張るしかない!!
それからの毎日は億劫でした。
ベテランさん達は優しかったのですが私をフォローしようとすると店長に止められる。
これはお前の仕事だ1人でやれ。周りは手を貸すな。こんな事も1人で出来ないのか、よく今まで給料もらってたな。
時にはお客さんの前でも怒鳴られ罵られ、お客さんに心配されるざまでした。
この2パターンの繰り返し。
周りは心配はしてくれても手助けはしてくれません、矛先が自分に向くからです。
そんな状態でも私の頭の中にはこの仕事を辞めるという考えはありませんでした。
頑張ればミスは減る! たくさんメモしたらいい! そう思っていました。
ですが私を気にいらない店長は、朝でも夜でも休みでも関係なく、これはおまえがやったのではないか? お前のせいでこんなことになってしまっている! 客からのクレームはお前が絡んでいるのではないかと、身に覚えもない、出勤していない日の事でも電話をしてきました。
その日は出勤していませんと伝えても伝わらない、それは私がやった業務ではありませんと伝えても伝わらない。全てのミス、全てのクレームはお前が関係している! そんなことを言われました。
確かにクレームの多い店ではありましたが、大概は私の居ない時間に起きた事へのクレームでした。
正直、知らんわ!! と今では思いますが、当時の不安定だった私は、何をしたら怒られないのか等を必死に考えていました。
勤務外に携帯が鳴ると、店からではないのかととても不安で画面を見るのが怖かったです。
私は朝からの勤務で店長は昼過ぎからの勤務。
次第に私の体と心に変化が起きます。
昼近くになると不安と恐怖で涙が止まらず吐き気を催す。涙がこれでもかという程溢れ、立ち上がれなくなり早退。
それが何度が続きました。そしてある日店長からスタッフルームへ呼びだされます。
「どうして最近早退が多いのか。」
私は、ふたつの可能性があると思っていました。
理由は明確ですが話せるわけがありません。
女性特有のものかも知れないので病院へ行くと伝えました。
その後、目の前のその人に何かを言われたのですが何を言われたのかはわかりません。ただ覚えているのはガシャン、パリン、グシャッ、そんなガラスが割れるような音が私の体内から聞こえてきた事だけ。
そこからどうやって部屋を出たのか帰宅したのか泣いたのか泣いていないのか未だに記憶がありません。きっと、酷いことを言われた記憶を脳が隠してくれたんだなと思っています。
心って割れるのかな? そんな事を言っていたと母に聞きました。
数日後、婦人科で書いた問診票を見た医師は私に、
「ここでは対応できないので紹介状を書くわね、大丈夫怖くないわよ、必ずよくなるからね。」
こう言いました。
問診票には、消えたい死にたい、そんな言葉も書いていたと思います。
精神疾患について知りたいと言っていた私ですが、いざ自分が病院へ行くとなるととても怖く、精神科という名のついた病院へは行けずに心療内科へ行きました。
結局、私は人事だったから精神疾患について知りたかったのです。そういった人達を「理解したい」と思っていましたが、それは違いました。興味津々だっただけなのです。
そこで初めて言われた病名は、【言葉による暴力が原因の鬱】でした。
初めて見る薬を飲み勤務は続けていましたが一向によくならず、通院を始めて日が経たないうちに、辞めようという考えが頭に浮かびました。
辞めようという判断が出来た事だけを見ると少しは通院の意味もあったのかもしれませんが、先生との相性が合わなくなり転院しました。
その後、親しい方にすすめられて精神科へ通院し始めました。
それから2ヶ月くらい立った頃でしょうか。
「あなたは鬱病ではありません、双極性障害2型です。」
そう医師から告げられました。
そこから私は、双極性障害2型としての通院を始めました。私は精神障害者になったのです。
(執筆 スターチス)