ライターのトシヒーローです。
僕は人工透析患者ですが、そうなったのは38歳の時なんです。つまり38歳までは障害者ではありませんでした。
当時、障害者の気持ちなど知るべくもなく、普通に生活していました。
ちょうど23~24歳くらいの頃、新しく出来た彼女と高円寺の駅に向かっていました。その時、15メートルくらい先を杖を持った視覚障害者の男性が歩いていました。
当時、僕には彼女がいて、その彼女にカッコつけたいというのもあって、その視覚障害者の方の手助けをしようとしました。しかし、まだ僕も若くてこういう時にどうすれば良いかなど知りません。
「あの人の3メートルくらい後ろをついて行ってみようか?もし何かあれば助けてあげよう。」
そう言って、僕は彼女と共についていく事にしました。
視覚障害の男性は杖で探りながら高円寺の駅に到着。
たどたどしい足取りではありましたが、何とか無事に駅のホームまで行く事が出来ました。
この時、僕は彼女にこう言っていたんですね。
「もしも安易に助けてしまったら、視覚障害の男性が人の助けを借りなきゃ駅に行けなくなるかも知れない。もしかしたらあの男性は病院とかに行く可能性もある。一人で行けなきゃいけないだろう。毎回誰かが助けてくれるとは限らないからね。」
そんな風な事を言った記憶があります。
つまり目が見えなくとも、必要ならば一人で行動できなきゃならない。下手に僕らが助けると、かえって迷惑がられても困るし。
難しい判断ですよね。
ただ、当時は気付いてなかったですが、目が見えない人にとっては僕らが何者かも分からない訳です。当然、手を引いたりすれば怖いかも知れませんよね。かと言って、転んだりすれば危険ですし、いざという時に3メートルも後ろにいたんじゃ助けきれないかも知れないですから。
結局、この問題は正解が無いかも知れません。
僕自身が障害者になって思う事は、障害者も人間で、人によって考え方や性格が違います。
助けられて喜ぶ人もいれば、自らに厳しく助けられる事を言葉にしないだけで実際は迷惑がる人もいるかも知れません。しかし、本当に困ってる時は誰でも助けて欲しいと思いますが。
その辺りの細かい感情などは、一見で判断はつきませんから。
僕自身も人工透析が終わって、帰るJRの中で気分が悪くなって立っていられなくなり助けを求めた事があります。
「すいませ~ん、気分が悪いのでどなたか席を譲ってもらえませんか~。」
そう言うと3人ほどの人が立ち上がってくれました。僕も恐らく顔色が真っ青になってたと思います。それで瞬時に判断してくれた人が3人もいました。
僕は歩く力もほとんどありませんでしたので、
「有難う。」
と言ってその時は、一番近くの人の所へ行って席を譲ってもらいました。
僕と彼女は、視覚障害者の男性の後ろを歩き、単に「見守り隊」をやっただけなんですよね。
たったそれだけの事。
何かあれば助けようという気持ちはあっても、本当に危険な時にスッと助けられたかどうかは分かりません。
傍からみれば、物取りの若いカップルが狙ってるようにも見えたかも知れません。ただ、この時、視覚障害の男性の後ろを歩いていたのが、僕一人で単独だったら、このような事はしてなかったのかも知れません。
彼女と一緒だったから、いい人ぶって理屈を言って「見守り隊」をやっただけとも言えます。
結局、視覚障害の男性は駅のホームから電車に乗りました。
僕らは、立川方面へ行く予定だったんですが、障害者の男性は新宿方面でした。
JRに乗り込む時、車両とホームの幅が少しありましたので、助ける出番が来たかなと思っていたら、駅員さんが走って来られて無事車両に乗られました。
結局、僕らは出番がないまま、何となく良い事をしたつもりになっていました。
今にして僕が思う事は、やっぱり腕を取ってちゃんと誘導してあげれば良かったなと感じます。
僕が障害者になってみて、確かに有難迷惑な事もありますが、助けられたらやはり嬉しい。それはそれで、有り難いと思います。
正しいか間違ってるかとか、正解か正解じゃないかはあまり関係ない。
僕が席を譲ってもらった時は、もう感謝するとかそんな事よりも家に帰れるかどうか、このまま死んでしまうんじゃないかという恐怖で一杯でした。
それくらい苦しかったんですね。
視覚障害で外を歩くのは相当な勇気がいるはず。とても恐怖を感じる行動だと思います。
いや、目が見えたって、海外で一人歩きをした経験のある僕は、知らない世界を一人で歩くだけでも怖いと感じます。
視覚障害があれば、恐らく杖だけが頼りで周りに相当敏感でしょう。もしかしたら、後ろをついて行った僕らを視覚障害の男性が不気味に思っていたかも知れません。
今となってはちゃんと腕を取って助けてあげなかった事を少し後悔しています。
(執筆 トシヒーロー)