双極性障害者のる。です。
皆さんは精神科にある「保護室」をご存知ですか? 今日はその「保護室」についてお話したいと思います。
精神科の入院形態には、
があります。
任意入院はそのまま、患者本人の許可を得てする入院です。
あとの二つは患者に自害・他害の恐れがある場合に、本人の許可を取らない、強制入院で、程度の差があるというものです。私も措置入院については警察にお世話になったら、程度の知識しかありません。
私が入院したのは強制入院の一つ、医療保護入院でした。酷い躁状態と希死念慮が酷くて、危ないと判断されたようです。
親に無理やり連れられて行かれた病院でその場で入院と言われて、訳がわからず、逃げようとして、鎮静剤を打たれるという経験をしました。
医療保護入院については身内の許可と、裁判所の許可がいるようです。
「裁判所に行った」
と後で、親から聞かされました。
入院と言われて、ビックリして暴れていたら、ベッドのある部屋に連れて行かれて、鎮静剤を打たれて、起きた時には閉鎖病棟の保護室に居ました。ベッドに拘束された状態でした。
後から聞いたら、拘束された状態が一週間ぐらい続いていたようですが、あまりにビックリしすぎて記憶があいまいです。
ベッドに、拘束帯というのでしょうか。太い帯状の紐で布団の上から、足元、腰のあたり、腕の辺りの三か所を抑えられていました。
ベッドからは一切動けません。食事のときだけ、紐を外して貰っていたような覚えがあります。
トイレはどうしていたのか、全く記憶がありません。おむつや導尿はしていなかったので、便器を使っていたはずなんですが、紐はその間どうなっていたのか、覚えていません。
保護室の存在くらいは聞いたことのある方へ聞いてみたいのは、保護室にどんなイメージをお持ちでしょうか?
保護室はベッドと便器があるだけです。
鉄の扉が二か所あって、片方は看護師さんたちが出入りするための扉、もう片方は、歯を磨くときなどに洗面台に行くためや、お風呂に行くときに開けてもらえる扉でした。
窓は二か所ありました。一ヶ所は、看護師さんたちが出入りするための廊下に面した大きな広い窓。廊下を挟んだ外に面した窓には、カーテンがかけられており、カーテンは一日中閉まっていて、外の景色は一切見えません。もう一ヶ所の窓は、洗面台等に行くために開けてもらえるドアの横にある細長い窓。この窓には、扉が付いていて、扉が邪魔をして、外を完全に見ることができません。
拘束が解かれて、保護室内を自由に動けるようになったとき、とにかく周りの状況を知りたくて、助けを求めたくて、鉄の扉の横にある細長い窓から外を覗くということを繰り返しました。
少しでも窓を広く開けたくて、窓についた扉を床の隙間から押すということをやっていました。5㎝ぐらい開いた窓と扉の隙間をを6㎝ぐらいに広げるために、必死で指で押していました。
外を人が通ると、助けを求めようと一生懸命になっていました。病院内なので、通るのは看護師さんだけなんですが、それすら混乱している私にはわかりませんでした。
日に三回ご飯が運ばれてくる以外に、看護師さんたちが巡回にやってきます。巡回以外にも、水を飲むようにと、コップに水を大量に入れられて、喉も乾いてないのに飲むように言われました。もう秋だったので、脱水症状を心配してのことではないとは思うのですが、喉も乾いてないのに水をコップ一杯飲んだあとに、更にもっと飲めと言われるのは恐怖でした。
トイレも丸見えの状態で、トイレに座っていても普通に男性の看護師さんも入ってきます。恥ずかしいという気持ちより、ここから出られないかもしれないという恐怖が強くて何も感じませんでした。
自分のモノと言われて置かれているのは、ボックスティッシュだけでした。ベッドについている動かせる簡易机みたいなのの上に、名前が書かれたボックスティッシュが置かれていました。
トイレットペーパーもペーパーホルダーがあるわけではなく、チラシで作った箱が床に置かれていて、その中に入れられているだけです。
だいぶ良くなって保護室から一般の病室に移ったとき、私の目の前には保護室のある病棟と一般の病室を隔てる大きな鉄の扉が更にあって、
「ああ、ここからは抜け出せないな」
と思った覚えがあります。
私は閉鎖病棟の一般病室に移ってからも、再度別の保護室に入れられるという経験をしました。もう二度と保護室には入りたくないです。嫌だった思いが強いのか、保護室のことは、今はぼんやりとした記憶になっています。
(執筆 る。)