障害者ライター陣の書く、障害者と健常者を繋ぐWEBマガジン

ある日突然「障害者」になるという事 劣等感から始まる心の旅

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障害者の心の旅

ライターのトシヒーローです。

障害者って怖い! って感じた事はありませんか?

僕の場合は38歳で人工透析により内部障害として1級認定されました。ですので、38歳までは健常者でした。

僕は田舎の子ですから、子供の頃から何人もの障害者を見てきましたよ。

僕の友人の1人は子供の頃から左腕にハンデがありました。

今では体のバランスが崩れ、歩くのにも影響を与えているようですが。

障害がある者が凄すぎると周りは比べられる

子供時代の彼は、元気いっぱいでしたね。僕等と歩調を合わせるために何でもやってのけました。

特に凄かったのは水泳で、僕は小学3年生でようやく泳げるようになったのですが、彼の場合は2年生の時にすでに泳げました。

左腕は一切使えませんので、右手だけで泳ぐんですよね。当然、クロールとも平泳ぎとも言えない不自然な泳ぎ方ではありますが、それでも4年生の頃には25メートルを泳げるようになっていましたね。

クラスにこんな子がいると大変です。

「おい。彼に出来て、何でお前たちは出来ないんだ!」

的な発想で物を言う先生とかが普通にいました。とにかく比べられるんですね。

僕のクラスは連帯感が強かったですから、何とか無事小学校を卒業したんですけどね。

中学に上がると、彼はやはりイジメの標的になっていくのです。

彼は障害を持っていながら普通に何でもやってのけます。周りには障害も無いのに彼より出来ない子もいる訳ですよね。

そこに、「畏怖」が生まれるんだと思います。その「畏怖感」はやがて「脅威の存在」として、イジメ対象になってしまうのでしょうか。

障害者に対する健常者が感じる恐怖心は3つある

僕の場合はイトコにも叔父にも知的障害者がいましたので免疫がありますが、多くの方にはそのような免疫が無いと思いますので障害者に対する恐怖心はどなたでもあるのではないでしょうか?

  • 次の行動が読めない障害者に対する「行動の恐怖」
  • どう扱って良いか、差別になってしまわないかといった「対応の恐怖」
  • 障害者でも不屈の闘志で成功する者がいる事に対しての「敗北の恐怖」

大きく分けるとこのくらいが挙げられるんではないかと思います。

「行動の恐怖」は、障害が精神に及ぼしてる場合なのですが、これも度合いがあります。

子供の頃、イトコにナイフを振り回されるというハプニングがありました。

何とか大事には至りませんでしたが、行動が突飛過ぎて読めませんので、確かに怖さを感じます。が、いつもそういう事ではありませんでした。

普段はある程度いう事も聞けますし、やはり若干のバイオリズムがあるようでした。

ただ、見ず知らずのこういった障害者を見かけた時は、やはりどなたも距離を空けてしまうのではないでしょうか? その方の障害レベルの情報が分かりませんからね。

「対応の恐怖」は皆さん経験すると思います。

目の前に車いすの方などがいたら、どう対応するかです。

例えば電車の中で出会った場合など、考えさせられる場面はかなりありますよね。

下手に対応して何かあると困りますので、出来るだけ遠めにいたいという気持ちも分かります。

やはり、先を考え、積極的に助けるという行為は勇気が必要でしょう。

何もしないと「差別思想」などと揶揄されるんではないかという恐怖もあります。

そういった観点から扱いに苦慮するという事がありますね。

今回、問題にしたいのが3つ目の「敗北の恐怖」です。

障害者の中には、その障害に負けることなく、不屈の闘志で人並み以上の事をやってのける人が存在します。

例えば、車いすテニスの国枝慎吾選手のような一流のアスリートなど、挙げればキリがないほどいます。

僕たち障害者にとっては希望ともなれる存在で、頑張って障害でも生きて行こうとする励みになる存在なのですが、健常者にとっては劣等感を感じさせられる存在になってしまう場合がありますね。

「行動の恐怖」と「対応の恐怖」に対しては、その障害者の事をより知っていけば対応可能となっていく問題です。いわゆる「未知の恐怖」とも言えましょう。


知る事で対応できますので、こういった障害者を取り上げてくれるサイトを読んでいるだけでも勉強になって対応力が上がると思います。しかし、3番目の「敗北の恐怖」というのは表立って誰もが感じてる事ではなく、深層心理の問題です。

自分よりもハンデがある人間が自分以上に活躍してしまうというのは面白くないでしょうからね。

僕や、だいちゃんのように、障害者ブロガーとしてやっている者の元には心無い嫌がらせや妬みのコメントが寄せられる事もありますね。

「お前らみたいに頑張る奴らが嫌いなんだ! 障害者は家で大人しく寝てろ!」的な事が書かれてる時もあります。

結局、成功する障害者がいると、障害の無い者に過度のプレッシャーを与えてしまう事があるようです。

比べられる恐怖は自分が障害者になった後でも持続していた

38歳で僕も人工透析となり、障害者となった訳ですが、その左腕にハンデのある友人とは同じ土俵になっただけです。彼は懸命に働き、結婚もし、そういう人並みの生活を維持していました。

僕は人工透析となった事で精神的に参ってしまい、働く気力もやがてなくなっていました。そうすると、やはりまた彼と比べられる事になってしまいますね。

彼にやれて何でお前は出来ないのか?この言葉が大きくのしかかります。

障害を受ける事は、それ自体が劣等感につながります。

僕も障害者となってみて、今でこそそういう劣等感はなくなりましたが、最初はホントに厳しかったですね。

彼らが多大な障害を受けながら、どういう気持ちで立ち向かっていったのか? それが僕にも分かるようになりました。

あいつら、この状況からどうやって抜け出したんだ?

何でそんなに頑張れるんだ?

ある日、僕は単純な事に気付くんです。

頑張れる人は自分がいかなる状況でも頑張れてしまう。が、頑張れない人は単に頑張るのが面倒で頑張らないだけだと。そもそも頑張る気がないですよね。

頑張れない人間からすれば頑張る人が嫌いなのは分かります。

逆に、頑張る人から見れば頑張れない人間の気持ちが分からないように。

つまりはその人の生き様でしかないという事です。

所詮、この劣等感から逃れたければ、自分がいかなるハンデも克服してしまうしか道はない訳です。

この事に気付いて、僕は考え方が大きく変わりました。

単純な事ですけどね。

「敗北の恐怖」などは自分自身が弱いからそうなるんですね。

「なんだ。 勝てばいいだけじゃないか!」そう思ったら何でもなくなりました。

少なくともチャレンジしていればまだ負けてはいませんから。

障害は単なるハンデ。

壁が大きければやるべき事も増える。返ってそれが生きがいとなる。そういう人生を歩めば良いのだと。

自分が何を成せば良いかが見えてきた

左腕に障害がある友人が、どのタイミングでそれを悟ったのかは知りません。しかし、生まれつきの障害者だった彼は、子供ながらに皆と同じようにやっていきたいという強い思いから、戦いを始めたのかも知れません。

現実として彼は人並みの事をずっとやり遂げていました。そして、そこに大きな壁を何度も超えて来た彼の強さがあったと思います。

彼を妬む者がいるとすれば、それは彼に敗北したと認めた者たちだけです。

そういう事に気付いたのですね。

では、勝てば良いのですから、答えは簡単です。自分自身も一歩を踏み出せば良いだけです。

そこに障害があるとか無いとかは関係ありません。

誰もが本来は同じ土俵に乗っています。ただ僕らは人よりも大きなハンデを与えられてるだけ。

金持ちの家に生まれる人もいれば貧乏な家庭に生まれる人もいるように、生まれ持ってのスタートラインが違うだけなのです。

人よりもうんと離れたところからスタートしたに過ぎません。

頑張れば彼らに追いついて並んで走る事も可能なのですね。

その事に気付いたら、心がスーッと軽くなりました。

重い雰囲気が消え去り、自分が何を成すべきかが見えてきました。

(執筆 トシヒーロー)

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トシヒーロー by
香川県在住
高校を卒業後、東京へ進出。
専門学校を経て通販会社などの広告制作部で広告制作を担当。28歳の時にブラック企業で働き過ぎ、意識不明となる。
帰郷し、その後は入退院の繰り返しの生活となり、38歳にて人工透析患者に。
長らく無為の日々を過ごした後、悲しい恋愛や父の死によってヘタレを卒業。現在は多くの無名ブログを運営する辺境ブロガーである。
■運営ブログ 「透析患者の逆襲」~人工透析との壮絶バトルブログ~