障害者ライター陣の書く、障害者と健常者を繋ぐWEBマガジン

累々と積み重なる屍(しかばね)の上に立つ障害者たち

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障害者 屍の上

ライターのトシヒーローです。

以前、「ある日突然「障害者」になるという事 劣等感から始まる心の旅 」というタイトルで、「障害者って怖い! って感じた事はありませんか?」と呼びかけてみました。

今回は全く真逆の事を書いてみたいと思います。いわゆる、「健常者って怖い。」です。

障害者の立場でこのような発言は賛否があるでしょう。

もちろん、全ての健常者が怖いという訳ではありませんが、昨年7月26日に神奈川県相模原の障害者施設で19人が殺害され、27人が重軽傷を負ったという殺傷事件が起きました。

この時、ネット上では少数意見とは言え、いくつかの犯人擁護の意見がありました。

【相模原襲撃】犯人はよくやった!障害者は死んで当然!-togetter

「犯人よ、よくやった!」という意見がいくつもあるのです。

こういった意見に一切怯える事なく生活できる障害者は少ないと思います。

歴史を紐解けば障害者迫害はどの時代もあった

よく例に挙げられる事件としては、ナチス政権下のドイツで起きた障害者の大量殺戮が有名です。

1939年に始まり、1940年から本格化した「T4」と呼ばれる作戦で、多くの障害者などが集められガス室送りとなりました。

1940年1月から1941年8月までの間に7万237人の心身障害者の命が奪われたとされています。

その後も含め、1939年の準備段階から20万人に被害が及んだと推定されているのがこの「T4作戦」です。

ナチス政権下のドイツでは優生政策(優秀な人間を作り出すため人種や個体を選別する政策)が進められており、このような悲劇が起きたという事です。

また、第二次世界大戦中の日本でも、戦争下では真っ先に切り捨てられるとして、多くの障害者が脅威を感じたという話が残っております。

他にも、中世のヨーロッパなどでも多くの迫害があり、我々障害者が歴史的に累々と積み重なる屍の上に立っているのが分かります。

歴史を紐解いていくと、こうした障害者の迫害問題は至る所に登場しますね。

仮に障害者をいなくする政策を実施する場合 未来はどうなる

現代でも、障害者殺傷事件が起きたり、そこまではしなくてもそれに同調する第三者が現れたりしますが、未来世界では障害者がどうなっていくのか? 特に近未来でどうなっていくかが気にかかります。

今回の相模原障害者施設の殺傷事件では、「国税(保険料)に負担のかかる障害者をいなくすれば国家の負担が減る」という言い分で行われた犯行でした。

そもそも、どのくらいの障害者が日本にいるかという点ですが、2016年内閣府(障害者白書)の発表によりますと、

  • 身体障害者 393万7千人
  • 知的障害者  74万1千人
  • 精神障害者 392万4千人

合計で860万2千人となっています。

日本全体の6.7%にも及びます。

更に、その障害者に対する障害者施策関連予算は1兆8千億円となっています。

社会では、こうしたお金がかかる弱者(障害者)への負担は本当に有意義なのか? という議論を提唱される方がいますよね。

そういう思想が相模原の事件を引き起こしたとも言えます。


仮に860万人もの障害者がいなくなったとして、果たして日本はどれほどの恩恵を受けるのか? という部分に誤解があるようです。

一部の弱者排他理論は実は都合の良いデータを中心に語られる事が多いですね。

実際、その860万人の障害者の大半は日本国内で消費していて、その消費が税収にも加わっています。

更には、その障害者たちを支援したりなど、障害者の為の産業も多々存在しています。

こうした、障害者に対する全ての産業が障害者がいなくなる事で失われ、障害者がいなくなる事で大きな消費と税収も同時に失ってしまう事になります。

弱者排他理論で、仮に障害者がいなくなった場合も、その後そこに新たな弱者が生まれる。

社会貢献度の低い順にいなくする政策では最終的に一部の強者しか生き残れない事になります。

しかし、一部の強者は、その他大勢の弱者から搾取し大金を得ている事を理解していますので、弱者排他政策が愚策である事をよく知っています。

障害者を支援し障害者に職を与える事で日本は恩恵を受ける

つまり弱者排他主義の大きなミスは損失部分だけを計算し、収益には一切目を向けないという傲慢なやり方をしている事が理解できます。

860万人もの障害者がいれば、そこには大きな産業も存在しています。

何もかも失うのは損出も大きくなる。

弱者がいなくなる事で、強者の中から再び弱者が誕生してしまい、人の絶対数が減る事により消費の落ち込みが顕著になる。いわゆるデフレスパイラルのような状況が生まれてしまう事になります。

雇用が減り、産業が衰退し、人の絶対数も減るという事がどういったマイナスを国に与えるかがおおよそで理解できるというものです。

社会はこういった部分に気付いており、障害者に予算をさくのです。

しかし、この障害者の中でも軽度な人たちに職を与えていくとどうなるでしょう。そこには微増ながら新たな税収も起き、健常者も巻き込んだ新たな雇用と産業が生まれます。

つまり時代は障害者救済から、障害者活用へと変わりつつあるのがそこから垣間見れます。その中で弱者排他理論を繰り広げるのがいかに暴論であり、未来社会を破壊していくのかがはっきりと見えてきます。

いつの世も議論が続く、人間の尊厳と人権

僕は内部障害者です。見た目で障害者である事に気付く人は少ないでしょう。

同じように弱者排他主義理論の持ち主かどうかは、見た目では分かりません。

僕はそこに脅威を感じ得ません。

障害者は道の端っこを歩き、いかに目立たず生きるかを模索しなければならない世の中である事に危惧を覚えます。と同時に多くの健常者の支援を受け今日が存在しています。

人の歴史の中で迫害され累々と積み重なってきた屍の上で、今日の障害者への社会対応が確立されてきました。

今後も障害者に対する議論は至る所で起きるでしょう。

もしも万一、障害者迫害が再び巻き起こったとしても、僕ら障害者は成す術もありません。

社会の中で恩恵を受けるという事は、大きな事を言い辛い状況にあります。

そして、人間の尊厳とは何か? 人権とは何か? 生きるとは何か? 今日も至る所で議論されるでしょう。

人間の永遠のテーマとも言えますね。

(執筆 トシヒーロー)

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トシヒーロー by

香川県在住

高校を卒業後、東京へ進出。

専門学校を経て通販会社などの広告制作部で広告制作を担当。28歳の時にブラック企業で働き過ぎ、意識不明となる。

帰郷し、その後は入退院の繰り返しの生活となり、38歳にて人工透析患者に。

長らく無為の日々を過ごした後、悲しい恋愛や父の死によってヘタレを卒業。現在は多くの無名ブログを運営する辺境ブロガーである。

■運営ブログ 「透析患者の逆襲」~人工透析との壮絶バトルブログ~