障害者ライター陣の書く、障害者と健常者を繋ぐWEBマガジン

障害者にもできる、差別世界の無くし方を見つけてみた

スポンサードリンク







スポンサードリンク




本

中学3年生の春。

みんなと同じように受ける尿検査の結果、わたしは病院で精密検査を受けてくださいと伝えられました。

いろんな記憶が途切れています。

その次に思い浮かぶ場面は、診察室で当時の主治医の先生からとても残念そうにこう伝えられたところです。

「今から治療を受けなければ確実に、20歳を迎える前に人工透析になりますよ」と。若い人には少ない病気だということも伝えられました。

当時のわたしは人工透析というものを知りません。ただ、自分は難病で20歳になる頃には何か起きるのだろうということだけはわかりました。

となりにいる母の顔をチラっと見たところ、絶望感と焦りが見て取れました。今にも泣きそうな母は主治医の先生にいろんなことを質問攻めしていました。その母の姿を見るわたしは妙に冷静だったことを覚えています。

腎臓病は、初期は自覚症状がほとんど出ないので自分が病気だという実感が湧かないのです。わかりやすい症状が出ないまま進行していくので、なんとなく具合の悪い日が続いていたと思ったら突然倒れてそのまま透析生活が始まる人もいるようです。

少しずつ、体のだるさなどの症状は出てきますが、それも、ただ疲れが溜まっているだけだと勘違いしたまま気付かない人や、本当は運動を制限しなくてはいけないのに、むしろ体力不足だと思い込み余計に体を酷使し続けた結果、知らず知らずに悪化させてしまう人もいるようです。わたしも学校の尿検査がなければ気付かなかったでしょう。

そうして当時のわたしは「普通の中学3年生ではなくなったんだ」ということを頭の中だけでなんとなく受け止めるだけでした。

差別世界の生まれ方

わたしはその日から薬漬けの日を迎えました。よくわからないまま体にはたくさんの薬が入り、悪くなっているのか良くなっているのか、その感覚もないまま2ヶ月後にはいつのまにか、顔だけがパンパンに膨れた真ん丸になっていました。治療のために服用していたステロイド薬の副作用による、ムーンフェイスでした。

ステロイドには他にも、体全体の免疫を抑えてしまうという副作用もあります。腎臓の治療のためとはいえ、赤ちゃん並みの抵抗力まで下がってしまう状態でほかの病気にもかかると大変です。単なる風邪でも油断できません。

そのため、感染予防にマスクを常備するわたし。学校でみんなが下敷きで風をあおぐような夏の暑さがこもった教室の中でもマスクをしている姿は、中学生という子どもの目から見たら不思議だったと思います。それだけでも、他のみんなと違う状態です。そのマスクの下はムーンフェイス。

前の自分の顔とは違うということを越えて、おかしいんだということにはっきりと気付かされたのは同級生からの指摘でした。

ある時、同級生の前でマスクを外した時にものすごく驚かれました。首から上を取り替えたかのように、わたしの顔は別人だったからです。そしてその驚きというのはあきらかに、異物を見たときの人の目でした。

始めの頃は「これは一時的なもので、薬の量が減ればまた元に戻るんだよ」などど、お医者さんから言われた言葉をそのままいちいち説明していましたが、説明する側もされる側もお互い中学生です。伝えたところで伝わっている気がしなかったり、関わる同級生ひとりひとりに説明していてはキリがありません。

それに、ちゃんと理解しようという姿勢がそもそも無い人にはどんなに伝えようとしても、見た目が全て。その現実を知るにつれて「もうマスクをして隠していればいいや」と、伝えることを諦めました。

そのうちに、差別的な言葉を笑いながら言われたり、陰で変なあだ名をつけられていたり、授業中、わたしが先生に名指しされるとクスクスという笑い声が聞こえてくるようになりました。そこには悪気のない態度も、あきらかな悪意も、どっちも存在していました。

子どもは素直です。見た目が変わるだけで、他人の心、態度、距離感はここまで変わるのだということを実感した日々でした。それはだんだん、孤独を感じざるを得ない状況に変わっていきましたが、誰かに心の内を明かすことはありませんでした。伝えるという行為に疲れてしまっていたのです。


本を読むことで救われた

残りの学校生活は無事に卒業をして、誰もわたしのことを知らない高校に行く。それだけを目標に、わたしは中学校を通い続けました。

不登校になってもおかしくない状況でそんな風に思えたのは、受験生なので学校を休むことができないという思い込みもありましたが、学校の中の図書室という居場所と、本に出会い、そこでいろんな発見があったからです。

学校の昼休み、人目のつかない落ち着いたところを探して行き着いたところが図書室でした。本を読んでいるうちに「もしかしたら自分の今いる世界はとても狭い範囲でしかないのかもしれない」ということに気付きました。

子どもにとっては当たり前のように学校と家がほぼ日常の全てで、それに添えなければまともな社会人になれないかもしれないという不安があります。でも本の中には、漠然と想像していたまともな生き方以外にも、いろんな選択肢が数え切れないほど広がっていました。そしてそれぞれにいろんな考え方をしている登場人物がいました。

病気とは向き合い続けなければいけないし、この先もいろんな人と関わるだろう。他人と全てを理解しあうのは難しいのかもしれない。自分のありのままを受け入れてもらうことはできないかもしれない。

それでも、ここに数え切れない物語があって、それぞれ内容も登場人物にも違いがあるように、心温まる出来事や、自分を活かす経験がいつか見つかるかもしれない。それを探していくうちに、もしかしたら病気の自分を受け入れてくれる他人も見つかるかもしれない。

とりあえずは高校という新しい、ここではない別の環境に行ってみよう。わたしのことを知っている人が居ないところを選ぼう。そこでスタートし直してみよう。そんな風に思えてきたのです。

心の守り方を学んだ

自分の今生きてる範囲はとても狭いんだということを本を通して意識的に確認することは、可能性が広がるきっかけになりました。

「ときには逃げてもいいんだ」ということにもそのとき初めて気付きました。逃げるというと消極的なので、ここではないどこかへちょっと移動することとか、ちょっと休憩することだと思えばいい。

どんなに孤独でも、生き方や日々の過ごし方に選択肢が増えることで、心に余裕が持てるかもしれない。実際に行動に移せなくても、探せばまた新しい選択肢が見つかるかもしれないと思うこと自体に、自由を感じました。

そんな可能性を、本を通して表現している人が現実世界のどこかで実際に生きているというのは希望の持てることでした。

結局、中学校を卒業するまで身の回りの状況は変わりませんでしたが、わたしは自分の身と心の守り方を本を読むことで学び、相変わらずマスクをし続けながらもみんなと同じように卒業証書を受け取りました。そして高校に行きました。

差別世界の無くし方

体の自由がきかなくなったり、対人関係に思い悩んだときにも「当たり前のように迎えている日常は実はとても狭い範囲でしかないのかもしれない」と意識して、選択肢を探し続けること。その上でいまの自分にはなにができるのか客観視することは自分を活かしつづける方法のひとつとなりました。

現実はそんなに甘くないことは今では経験上わかります。でも、そう信じて動くこと自体はタダだし、それが自由なんじゃないかと思うんです。そこには、健常者と障害者の違いはきっとありません。そこに差はありません。

人は見た目が大事です。その事実は必ず存在します。ただ、そこで諦めずに「工夫している姿」に少なからず寄り添ってくれる人はいるかもしれない。

こんな状態だけど、本当はもっと魅力的になりたいんだと、要望を伝えたら、こんなものが似合うかもよ、とアドバイスをくれる人も現れるかもしれない。むしろそれで、障害者なのに頑張ってるね、なんて褒められたらラッキーです。

障害者がそう信じて動き続けることで、健常者の中にも、障害者に対する考え方を変えてくれる人も現れるかもしれません。

わたしが本からそれに気付かされたように、こうしてブログなどから、生きていることにすこし期待が持てる人が増えたらいいなと、心から思っています。

(執筆 みい)

スポンサードリンク







スポンサードリンク




facebookページ

このWEBマガジンを気に入ったらイイネしよう! 更新情報をお届けします!

Twitter
twitterをフォローしよう! マガジンの更新情報をお届けします!

facebookページ

このWEBマガジンを気に入ったらイイネしよう! 更新情報をお届けします!

Twitter
twitterをフォローしよう! マガジンの更新情報をお届けします!

みい by
会いにいける障害者。東京都、池袋で夫婦でお店を営んでいます。
ワンコインバー&ギャラリーカフェ HAKU
中学3年生のときに難病指定の腎臓病と診断。
投薬治療と人工透析を受けたのち、母から生体腎移植を受けましたが移植腎も原因不明の腎不全になりました。9年後の現在はまた人工透析を受けつつ、料理と接客の仕事を楽しんでいます。