障害者ライター陣の書く、障害者と健常者を繋ぐWEBマガジン

自分自身の中の「ずれ」――性同一性障害の主訴「性別違和」について

スポンサードリンク







スポンサードリンク




性同一性障害

人の性には、4通りあると言われています。生物学的性、性自認、性指向、社会的性です。

  • 生物学的性とは、生まれ持った身体の性別です。主には生殖腺や生殖器によって判断されます。
  • 性自認とは、自分が認識している自分自身の性別です。自分は男性である、または女性である、或るいはそれ以外の性であるなど、自分がどの性別であると確信しているかです。
  • 性指向とは、恋愛や性愛の対象となる相手の性別です。男性が好き、女性が好き、男性も女性も好き、男女に限らずすべての性が好きなどです。
  • 社会的性とは、「表現する性」とも呼ばれる性です。服装や装飾品、態度の性別や「らしくあれ」などと周囲から期待される性別でもあります。

これ等はすべて一致している人もいれば、全部ばらばらに異なっているという人もいて、何れが正しい・間違っているということはありません。人の数だけ、性はあります。性とは多様なものであります。

筆者の場合は生物学的性:女性、性自認:男性、性指向:男性、社会的性:男性となります。生物学的性は性別適合手術によって乳房や女性型の内外性器を廃し、男性型の外性器を形成することで、かたちは改められましたが、まったく以て男性の身体になった訳ではありませんので、筆者は女性型であると明示しています。

4つの性のうち、性指向は性同一性障害には関係がありません。性同一性障害は飽くまで自分自身の性別と、もうひとつの自分自身の性別との間にある違和が問題となります。他者の性別は何ら問題となりません。

性自認と社会的性の間にある性別違和については、以前掲載されました「何故、性別移行を望むのか――性同一性障害の主訴「性別違和」について」というタイトルの記事に書きました。

前出の記事でお話したのは性自認と社会的性との間の性別違和の例でした。前出の記事で特に申し述べましたのは、自他の間の違和感です。自分が認識している自分自身の性別と、他者(社会)が認識している自分の性別との間の違和が、性同一性障害の当事者自身にどのような影響をもたらしているのか、ということを述べました。

今回は性自認と生物学的性との間の性別違和、自分自身の認識と自分の身体との間にある性別違和についてお話致します。

性同一性障害とは何か

現在の日本における性同一性障害の法律上の定義は、次の通りです。

「この法律において「性同一性障害者」とは、生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているものをいう。」
(性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律 第二条)

簡単にまとめますと、次のようになります。

  1. 身体の性別が医学上明らかに男性もしくは女性である。
  2. 本人自身が確信(認識)しているのは身体の性別とは異なる性別であり、それが一過性ではなく、ずっと続いている。
  3. 身体の性別ではなく、自身が認識している性別として生きていくために生活様式や身体の性別を改めようと考えている。
  4. 2人以上の専門医が当該人物について3.が必要であると診断している。

上記4つをすべて満たした者を「性同一性障害者」と法律は定義しています。

これは男女二元論に基づいてのものであって、実際には男性と女性以外にもさまざまな性が存在するのですが、ここでは「さまざまな性別」については述べられていません。よって、本稿でも男女二つの性のみを扱うものとします。

また、筆者は出生時に女性と判定され、現在は男性として生きる者(※註)ですので、本稿では女性から男性への性別移行についてお話し致します。これとは逆に男性から女性への性別移行を望む、或るいはした人も同様に存在することはご留意ください。

※註  このような人をFTM(Female To Male)またはトランス男性と言います。逆に男性から女性へと性別移行する・した人をMTF(Male To Female)もしくはトランス女性と言います。

性同一性障害の意識と身体の食い違い

本稿をお読みのみなさんにも思い返してみて頂きたいのですが、年令が低い頃というのは、自分の性別など特に意識せずに生活しておられたのではないでしょうか。たとえば就学前、幼稚園や保育園に通っていらした方は「男の子はこっち、女の子はあっちに並んで」などと男女分けされる機会があるために自分の性別を意識する場面はあったかもしれませんが、それ以外では、おそらくなかったのではないかと思います。

性別を意識しはじめるのは自身の中に「性」の萌芽が認められるとき、第二次性徴がはじまる頃ではないでしょうか。男性なら精通、女性なら初潮が訪れる頃から、性欲が顕著になる辺りは特に、自身の性を強く意識することになるでしょう。

そしてその体験というのは、個々人においてさまざまです。本稿でも、ここからは筆者の個人的体験を綴ることになります。ですから、性同一性障害者のすべてがここに述べる体験をしているのではありません。むしろ筆者の体験は、当事者の中でもめずらしいものかもしれません。その点ご了承ください。

筆者は幼い頃から身体が大きく、その分成長も早かったようです。10歳の半ばで初潮を迎えました。同じ頃、これは肥っていたせいもあったのですが、乳房も随分発達していて同級生たちからはたびたび「おっぱいすごいな」などと囃されたものでした。身体は既に女性としての変容をはじめていたのです。

しかしそれ以前から、筆者はそれとは知らずに自慰をしていました。性的な昂奮を明らかに感じてその昂奮を冷ますため、というものではなく、股間を刺激すると気持ちがよくなるということを何らかの理由で知って、しかし性的なこととは知らず、時折それを繰り返していたのです。

このときは自身の裡に性の芽生えもまだ感じておらず、まったくそのような意識はありませんでしたが、女性の身体で生まれながら筆者は、自分の身体を男性として扱いながら自慰をしていました。タオルなどの布を固く筒状にまるめて、それを股間にあてがって、筒を握った拳を上下に動かして擦りつけていました。男性器を想定してのことです。

勿論この頃の、年令が一ト桁でしかなかった筆者は、「異性」である男性の自慰の方法などまったく知りません。しかしそれでも「ここ(股間)にあるはずのもの」を何らかの手段で復元することが必要である、と何処かで感じていたのです。

三島由紀夫の「仮面の告白 (新潮文庫)」という小説に、このような一節があります。


「その絵を見た刹那、私の全存在は、或る異教的な歓喜に押しゆるがされた。私の血液は奔騰し、私の器官は憤怒の色をたたえた。この巨大な・張り裂けるばかりになった私の一部は、今までになく激しく私の行使を待って、私の無知をなじり、憤ろしく息づいていた。私の手はしらずしらず、誰にも教えられぬ動きをはじめた。私の内部から暗く輝かしいものの足早に攻め昇ってくる気配が感じられた。と思う間に、それはめくるめく酩酊を伴って迸った。……」
(三島由紀夫「仮面の告白」新潮文庫P36から抜粋)

主人公がはじめての自慰に及んだ際の描写です。性的な知識のまったくなかった主人公は手が「しらずしらず」にした「誰にも教えられぬ動き」で自身を刺激し、はじめての射精に達するのです。これと同様に、筆者も誰に教えられた訳でもなく、自分の身体に男性器があることを想定して、男性の手の使い方で自慰をしていたのでした。

しかしやがて、当然と言えば当然の如く、それでは満たされなくなります。はっきりと性的な昂奮を覚えるようになった頃、筆者はやはりはっきりとした欲求を感じるようになるのです。「己れの陰茎を握って擦り扱きたい」と。

現実には自分の身体にない部分を刺激したい欲求が身体の中に満ちるのです。最早や擬似的に簡易的に拵えたものでは満たされなくなったのでした。この満たされなさは、苛立ちや焦燥や情けなさや悲しさや、諸々の感情に分裂して変化しますが、解消されることはありません。いつしか収束して「苦痛」に変化し、蓄積していきます。

更には「挿入して射精したい」という衝動も顕れます。一ト月に一度経血を排出する身体を持ちながら意識はそのような欲をはらみ、悶絶を通り越す狂おしさに苛まれます。

思春期以降の性欲の発達を経験した方、特に男性にはよりお判り頂けるのではないかと思います。したいのにできない苦しさ。それは機会がないとか環境的条件が許さないとか、そういったことではなく、自分の身体のかたちが原因なのです。自分だけの努力でも工夫でもどうにもできないものが妨げになっているのです。

男性としての意識が確たる自分の身体が何故、女性のかたちをしているのか。誰からも答えの返らない問いを繰り返さざるを得ません。同じ、或るいは似た経験をお持ちの方の中には、自分の身体を憎み、傷つけた方もきっとおられるでしょう。

性同一性障害の欠落という身体違和

それ以前の筆者に身体の性別違和がなかった訳ではありません。自慰をはじめるよりさらに以前、身体に対する性別の違和感は既にありました。

まだ乳房の発達はなかった頃。上半身だけを見れば男性と何ら変わらないのに、下半身は「つるつる」です。何の出っぱりもない。鏡などで見れば明らかに「足りない」と感じますし、また見なくてもさわらなくても「自分に欠けている何か」の存在は常に感じられるのです。

自分には、明らかに何かが足りない。

何処もかしこもまったく異常なく機能していて健康であるにもかかわらず、欠落感があるのです。その欠落、空虚の実感は、半ばは不安でもあります。もやもやとした霧のような、はっきりとしない、いつまでも晴れない不安です。これが自分の内側に常に充満し、そこに同時に、前出の記事でお話しした「他者から自分ではないものとして扱われる」日常があるのです。

その一方で、周囲に存在する同じ年頃の「一般的に男性とされる人」たちの性的な変化が目に見えるようになってきます。先日まで同じ遊びをして自分よりも腕力も弱く背丈も変わらなかった同級生たちの背が高く伸び、喉仏が発達して声が太くなり、骨や筋肉が発達して(特に鍛えている訳でもないのに!)身体ががっしりと大きくなっていきます。

対して、発達させようと幾ら鍛錬してもさほど大きくもならない自分の身体。周囲が発達していくためにより卑小に見えて、存在そのものまでもがちんけなものに感じられます。

自分がここに在るということ、生きていることの意味が、どんどん希薄になっていきます。自分が自分自身として生きているという実感が得られない日が続きます。

欠けたもの。足りないもの。空虚なもの。そして満たされないという苦痛。吐露する場所も相談する先もありません。誰かに言えばほぼ間違いなく変態扱いです。ひどくすれば異常者として扱われるでしょう。

同様の経験をした人たちの話を聞けば、よしんば聞いてくれる誰かがいたとして、「それは女としての悦びをまだ知らないだけだ」などと当事者から見れば明後日の方角からの返答をよこしたりするのだと言います。「俺が女の悦びを教えてやろう」などと下卑たことを平気で口にする、つくり話にしか登場しなさそうな輩の存在も、現実に幾らもあるのだと聞き及んでいます。

明らかに存在する苦痛と、存在を認められることがない自己。この狭間で世をはかなむ当事者が少なくないのは詮なきことなのでしょうか。

治癒なきものの治療の所以――QOLを高める

この状態を解消に近づけるための手段が、性同一性障害の「治療」とされる性ホルモン剤の投与であり、性別適合手術なのです。

女性型の身体に男性ホルモン剤を投与すれば、勿論個人差はありますが、筋肉が発達しやすくなり、体毛が増え、声変わりが起きます。発達してしまった乳房が縮むことはほぼありませんが、月経は停止します。苦痛が幾らか解消され得ます。

性別適合手術を受けるなら段階的に、乳房を切除し、内性器及び生殖腺(子宮・卵巣)を摘出し、尿道を延長して(女性の身体よりも男性の身体の方が尿道が少し長いのです)、外性器(陰茎)を形成することができます。出生時に女性と判定された性同一性障害者の誰もがこの手術のすべてを受ける訳ではなく、乳房切除だけでいい、或るいは内性器の摘出までで構わないという人もいます。その一方で、筆者のようにすべての手術が必要な人もいます。どの段階までの治療が必要かは、個々人によって異なります。

「治療」とは言いますが、性同一性障害は治りません。性同一性障害の治癒とは、(筆者の場合は)生まれながらに性別違和がない男性とまったく以て同じく機能する身体を得ることでありましょう。そして、現代の医学ではその実現は不可能であります。

しかし、生きる上での障碍は、可能な限り取り除かねばなりません。

そこで、社会的性と性自認、また、生物学的性と性自認の性別違和を軽減することで生活の質=QOL(Quality Of Life)を向上させ、よりよい人生を送ることを眼目に、日本精神神経学会が定める「性同一性障害の治療のガイドライン」は設定されています。

性同一性障害 苦痛を除いて、よりよく生きる

苦しみを如何に軽減して、人生を意義あるものにするか。性同一性障害の治療とはそれを考慮しての医学的手段であって、知識のない人たちがよく口にする「性別を択んで」「趣味で」「もの好きで」これ等の治療を行うのでは決してないのだということを、ぜひ知って頂きたいところです。

性別違和とそれに伴う苦痛が解消されてはじめて、性同一性障害者は性同一性障害者ではない人の悩みを悩むだけで済むようになるのです。

(執筆 衛澤創(えざわそう))

スポンサードリンク







スポンサードリンク




facebookページ

このWEBマガジンを気に入ったらイイネしよう! 更新情報をお届けします!

Twitter
twitterをフォローしよう! マガジンの更新情報をお届けします!

facebookページ

このWEBマガジンを気に入ったらイイネしよう! 更新情報をお届けします!

Twitter
twitterをフォローしよう! マガジンの更新情報をお届けします!

衛澤創(えざわそう) by
精神障碍者で虐待サバイバーで性同一性障碍でゲイというクワドラブルマイノリティ。
うつ病・パニック障碍・睡眠障碍・摂食障碍・社会不安障害を併発して精神障碍者3級。
ものごころついた頃から27歳で実家を出るまでほぼ日常的に実父の暴力に晒され、実家を出てからは15年かかって性別適合手術をすべて済ませた。
中5年はうつ病が重篤な状態になり、つごうまる1年と少しの入院を含む何もできなかった期間。もう大変。
現在は病状も落ち着き、ライター兼作家として地味に活動中。
主な仕事:
ホンシェルジュ「衛澤創の本棚」
DIVERSITY STUDIES「SOU!ルーム~衛澤さんのちょっとええやん~」
オフィス・エス(個人サイト)