障害者ライター陣の書く、障害者と健常者を繋ぐWEBマガジン

車椅子ユーザーが持つ強者という側面と、加害者になる可能性

スポンサードリンク







スポンサードリンク




車椅子 凶器

車椅子ユーザーのライター、桜井弓月(さくらいゆづき)です。

一般的に、障害者は「社会的弱者」と言われます。障害を抱えて生きていくには様々な困難があり、社会的な制度や支援、配慮を必要としています。そういった意味で、障害者が社会的弱者であることは確かでしょう。

しかし、「強者」「弱者」という立場は絶対的なものではなく、相対的なものです。特に車椅子ユーザーは、状況によっては強者でもあり、加害者になることもあり得ます。

今回は、私たち車椅子ユーザーの強者としての側面に目を向け、周囲に対して配慮すべきことを考えてみました。

「車椅子は凶器になる」と自覚を持つことの大切さ

電動車椅子の速度は、法令で時速6kmまで認められています。時速4.5kmぐらいまでしか出ない電動車椅子もありますが、最高時速が6km出るものも実際にあります。大人の足で歩くとだいたい時速4kmと言われていますから、時速6kmはかなり速いです。

自走の場合はユーザーの腕力とテクニックにもよりますが、上半身に障害がない屈強な人であれば、それなりのスピードが出るでしょう。

このような走行機能を持つ車椅子で人にぶつかった場合、相手に怪我をさせるおそれは十分あります。そういう点で、車椅子ユーザーには強者の面がありますし、加害者になり得るのです。

ある程度広くて平らな道でも、周囲に人がいる場合は最高時速でビュンビュン走ると危険です。私も経験がありますが、電動車椅子がかなりのスピードで向かってくると、突進されるような感覚でとても怖いものです。確かに、何の障害物もない真っ直ぐで平らな道を最高時速で飛ばすのは気持ちがいいのですが、それは人けのないところで楽しみましょう、同士の皆さん!

また、それほどスピードを出していなくても、混み合っている場所では、人にぶつかったり足を轢いたりしないよう、より慎重になる必要があります。特に電動車椅子は重いですから、人を轢いたら骨折させかねません。

私が特に気を付けているのは、周囲に高齢者や小さな子どもがいるときです。高齢者は若い人に比べると動作がゆっくりですから、とっさに車椅子をよけられない方もいるでしょう。また、小さな子供は、こちらが思いもよらない動きをしたり車椅子に興味を持って近づいてきたりしますので、注意が必要です。私は、小さな子どもがうろうろしているときは、その子が通り過ぎるまでじっと動かず待つこともあります。

車椅子ユーザーも、そうでない人たちも、自由に安全に往来する権利が同等にあります。どちらかが一方的に配慮すべき、ということではなく、お互いに気を付けるべきなのです。

車椅子ユーザーは、自分の足(=車椅子)が凶器になることと自分が加害者になり得ることを自覚しておいたほうがよいでしょう。人が多いところでは周囲をよく見てゆっくり進む、どうしても通れなければ周囲に声を掛けて少しよけてもらう、などは当然のことです。

ただ、車椅子ユーザーの中には首の可動域が狭く、後ろや足もと(タイヤもと?)が見えない人もいます。車椅子ユーザーではない方たちにも、「そういう人もいるんだ」と知っていただけると、お互いに良いと思います。

外見では分からない困難を抱えた人たちを忘れてはならない

上記のように物理的な加害者になることとは別に、車椅子ユーザーは精神的な加害者になる可能性もあります。それは、「外見では分からない困難を抱えた人たちを排除してしまう可能性」です。

車椅子ユーザーは見た目のインパクトがある、つまり「分かりやすい障害者」です。ですから、社会的配慮が十分かどうかは別として、「何かしらの配慮を必要としている存在」として比較的認識されやすく、他の障害に比べると手を差し伸べてもらいやすいのではないかと思います。車椅子ユーザーがどのような困難を抱えているか詳しく知らなくても、町なかで車椅子ユーザーを見かければ「何か手を貸したり、道を譲ってあげたりしたほうがいいかな」と感じる人は多いのではないでしょうか。

一方、外見からは障害や病気が分からない(分かりにくい)人たちも大勢います。聴覚障害、内部障害、精神障害、発達障害……他にもいるでしょう。彼らは困難を抱えていることを周囲に気付かれにくいですし、その場で困っていることを訴えても理解を得られないことも多いのではないかと想像します。


車椅子ユーザーと、それ以外の障害者。どちらがどうと一概には言えませんが、「見た目で分かりやすい障害だから、比較的手を差し伸べてもらいやすい」という点で、車椅子ユーザーが強者となる場面はあると思います。

もちろん、だからと言って私たち車椅子ユーザーが引け目を感じる必要も不利益を我慢する必要もありません。堂々としていればいいのです。ただし、「外見からは分からないけれど、本当はとても大変な思いをしている人がいる」ということを、忘れてはいけないのではないでしょうか。

以前ネットのニュース記事かコラムに載っていた若い男性の言葉が、とても印象に残っています。「自分は健康に見えるが、実はガンで定期的に通院して治療している。治療が終わって帰るときは体がとてもきついので電車で座りたいけれど、席を譲ってもらえないし、近くに高齢者が立っていて自分が座っていると怒られる」という主旨でした。

同じようなことが、例えばエレベーターでも言えるのではないでしょうか。

私は、エレベーターで車椅子ユーザーが優先されるべきとは思いません。エレベーターを本当に必要としているのは、車椅子ユーザーだけではないからです。高齢者やベビーカー連れ、杖をついている人だけでもありません。そういった「見た目で明らかな人」ばかりではないのです。列に並んでいる人の中には、お腹はまだ目立たないけれども、体調が悪い妊婦さんもいるかもしれません。一見健常者に見えるけれども、実は何らかの障害があって歩くことが大変な人もいるかもしれません。若くて健康そうな男性でも、重い病気を抱えていて体がしんどくてたまらない人もいるかもしれません。

エレベーターが必要な人は誰でも使えばいいのです。必要性や本当の切実さは外見では分かりませんから、皆きちんと並んで、順番通りに乗ればいいのです。

もうずいぶん前のことですが、とある駅でとても衝撃的な場面に遭遇しました。その駅は利用客数が多いわりにエレベーターが狭いので、いつも長い列ができるのですが、そのときは私の何人か前に車椅子ユーザーと介助者がいて、その前にも数名がいました。そのような状況でエレベーターが到着してドアが開いたとき、介助者が「車椅子が優先ですから!」と声高に叫んで、有無を言わせず我先にと車椅子を押して乗り込んだのです。

もちろん、あのときの車椅子ユーザー本人がどのような考えを持っていたか分かりませんし、そもそも、この出来事は車椅子ユーザーよりも介助者の問題でしょう。ですが、「車椅子ユーザーが、意図的かどうかにかかわらず、外見では分からない困難を抱えた人たちを排除してしまう可能性」を見落としてはならないと思います。

エレベーターだけでなく様々な場面で、私たちは自身の強者としての側面を自覚しておくべきではないでしょうか。混雑して危険なときに道を空けてもらうことと、「車椅子が優先!」と自ら他人を押しのけることは意味合いが違います。前者は自分を守るために配慮を得ることですが、後者は、その場にいるかもしれない「外見では分からない困難を抱えた人たち」を無視、あるいは排除することです。

排除する側、つまり加害者にならないためには、「外見では分からないが、自分と同等かそれ以上に配慮を必要としている人たちがいる」ということを知り、常に念頭に置いておくことが大切だと思うのです。

私は、「分かりやすい障害者」として、「外見では分からない困難を抱えた人たち」の存在を絶対に忘れてはならないと、肝に銘じています。

配慮されるばかりではない、周囲に配慮できる存在に

私は、誰もがなるべく対等でいられる社会を望んでいます。対等であるということは、必要な理解や配慮を得る一方で、自分も周囲に対して配慮することです。

配慮というと少し大げさな感じもするのですが、要するに「人のことも考えましょう」ということです。これは、老いも若きも男も女も、健常者も障害者も、当然のことではないでしょうか。

周囲に配慮できる人間であるためには、自分が社会的弱者であるだけでなく、強者の側面を持っていると認識することが大切ではないかと、私は考えています。

(執筆 桜井弓月(さくらいゆづき ))

スポンサードリンク







スポンサードリンク




facebookページ

このWEBマガジンを気に入ったらイイネしよう! 更新情報をお届けします!

Twitter
twitterをフォローしよう! マガジンの更新情報をお届けします!

facebookページ

このWEBマガジンを気に入ったらイイネしよう! 更新情報をお届けします!

Twitter
twitterをフォローしよう! マガジンの更新情報をお届けします!

桜井弓月(さくらい ゆづき) by

脳性麻痺の車椅子ユーザー、である前に、女です。

自称、エセ物書き。のらりくらり生きてます。

方向音痴にもめげず、電動車椅子で町なかを暴走……いや、しとやかに徘徊中。

数年前に流行った動物占いは「笑いながらキツイことを言うトラ」。当たっているか否かはナイショです。