ライターの衛澤です。精神障碍者で虐待サバイバーで性同一性障害で同性愛者でアロマンティックで……と幾つも重なっている生存障碍者です。
幾つか重なっているうち、LoveHandiでは精神障碍と性同一性障害、主にこの二つについて書かせて頂いています。
今回は性同一性障害について。同テーマについては第3回めの記事です。
筆者は日頃、性的マイノリティの自助団体に関わったり、また時折このテーマについての講演や研修会等に講師として呼んで頂いたりしています。その現場でよく耳にするのが、非当事者である人の「性同一性障害者(性的マイノリティ)は自分の身近にはいない」、「実際に会ったことも見たこともない」という声です。
性的マイノリティは人口のだいたい3%~5%くらい存在すると言われています(※註1)。発達障碍を持つ人たちと同じほどの割合です。その中で性同一性障害者はぐっと数が小さくなりますが、少数者ではあるものの、決して出会うのが難しい数ではありません。
性的マイノリティは学校なら一学級に一人か二人、勿論、職員室にも同じ割合で「必ず」存在します。学校のみならず職場にだって、趣味のサークルにだっているでしょう。その中に性同一性障害者がいる可能性はかなり小さいものの、まったくゼロではありません。
つまりみなさん、何処かで確実に会っているし、言葉を交わした可能性もあるでしょう。「会ったことも見たこともない」という人は、対面した或るいは擦れ違った、見かけたことに気付いておられないだけです。
普段、人は会話の中でわざわざ「自分の性別」を述べることがありません。たとえば、はじめてお会いする人に挨拶するときに「はじめまして、○○と申します。性別は▲▲です」などとは言いませんね? 通院歴を開示することは更にないでしょう。「はじめまして。糖尿病歴10年、痛風歴2年で、治療中の歯が3本あります」などという初対面での挨拶を、少なくとも筆者は聞いたことがありません。
性同一性障害者も「私は出生時は女性でしたが、現在は男性として生活している性同一性障害者です」などとわざわざ誰かに言うことはありません。見た目では性別移行したことなど判らない人がほとんどですから、大抵の人はそれと知らずに接しているのです。
ほかの性的マイノリティもやはり同じです。見た目ではそれと判りませんし、初対面でわざわざ人に知らせることも先ずありません。
性同一性障害者をはじめ性的マイノリティとされる人たちは、間違いなくみなさんの身近にも存在して、みなさんと各所で出会っています。
では、何故多くの人は「会ったことも見たこともない」、「身近にはいない」と断言してしまいがちなのでしょうか。
その人たちは、性同一性障害者や性的マイノリティが「自分の周囲にはいない」ことを前提に生活しているからです。「ここにはいない」、「いる訳がない」、そのように常々考えていては、目の前にいてもその姿は見えないでしょう。
筆者は性同一性障害者であることを明かして生活しています。執筆や講演、相談などの仕事では「わざわざ」性同一性障害者ですと名乗ることもあります。その際に、明かした相手に随分驚かれてしまうことも間々あります。
驚く人曰く、「そんな風に見えない」、「まさかあなたがそうだとは思わなかった」、「こんなところにいるなんて思ってもみなかった」……。
この人たちにとって性同一性障害者とは、どんな風に見える人で、誰が相応しくて、何処にいるのが順当なのでしょう。性同一性障害者に対して、いったいどのような「特別なイメージ」を持っているのでしょうか。
性同一性障害者は(そして性的マイノリティは)、特別な存在ではありません。何処にでもいる「普通の人」です。
たとえば、眼鏡をかけずに生活している人が或る日あなたに「いままで黙っていたけど、実はコンタクトレンズを使っているんです」と告白したら、あなたは「そんな風に見えない」、「まさかあなたが」、「こんなところにコンタクトレンズを使っている人が」と驚くでしょうか。
驚きませんか? それは何故でしょうか。
驚かないという人は、きっと「コンタクトレンズを使っている人が自分の身近にいても、不思議なことではない」と思っているのでしょう。そして事実はその通りです。
性同一性障害者や性的マイノリティも、同じことです。身近にいても、決して不思議ではないのです。
そうか、私の周りにもいるのか、それなら。と、ご自分の周囲に性同一性障害や性的マイノリティの当事者を「探す」のはやめてください。「身近に生活する誰が当事者なのか」と暴露を目論むのは「ダメゼッタイ」です。
大抵の当事者は、当事者であることを明かしたくありません。
誰でも隠しておきたいことの一つや二つ、あるものです。それを暴かれるのは厭ですね?
しかも性同一性障害者やほかの性的マイノリティは、それと明かされることによって社会的に抹殺されてしまい得るのです。
これは誇張ではありません。
職場にいられなくなったり、地域に居住していられなくなったり、場合によっては世界の何処にも居場所を失くしてしまうこともあり得るのです。或る大学生が同級生によって同性愛者であることを暴露されてしまったことにより自ら生命を絶たざるを得なくなってしまった事件(※註2)を思い出してください。
人の生死を左右してしまう大事ですから、扱いには重ね重ねご注意を頂きたいところです。
また、性同一性障害者は特に、性別移行したことを知られることによって「もと女」、「もと男」などと移行前の性別で扱われてしまうことを忌避します。それは耐え難い苦痛です。何故なら、移行後の性別こそが性同一性障害者の「本来の」性別であるからです。
性同一性障害者や性的マイノリティが、自分からはなかなか当事者であることを明かさない或るいは明かせないのは、こういった障碍があるからです。明かすことがないが故に存在することが知られていないのだという側面は、確かにあります。
もしも。もしもみなさんが性同一性障害や性的マイノリティについて理解があって信用するに足る人であると、当事者が信じることができたなら。
きっとその当事者の方から「実はね……」という話があるでしょう。そのときに狼狽されてしまっては、打ち明け話をした方も大きな不安に苛まれてしまいます。お互いにうろたえずに快く話し合うためにも、どうか性同一性障害のことを、それからできればほかの性的マイノリティのことも、知ってください。先ずは「何処にでも、自分の身近にもいる」ということを知って、気持ちの何処かに留めておいてください。
知る機会は、幾らもあります。知りたいという気持ちを抱いたとき、その方法はみなさんの眼前に顕れてくるはずです。
筆者のような性同一性障害者に限らず、世の中で「マイノリティ(少数派)」とされている人たちの大抵は、自分たちのことを(多数派に)「知ってほしい」、「理解してほしい」と、それが叶わなくても「対等に仲よくしたい」と思っています。そのための努力を、それぞれに積み重ねています。筆者が本稿のような文章を書くのも、その手段のひとつです。
本稿をお読みのみなさんにはどうかご理解あって、みなさんの方からも歩み寄って頂きたいと思います。
(執筆 衛澤創(えざわそう))
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※註1 宝塚大学看護学部教授 日高庸晴氏の言より
YouTube法務省チャンネル:人権啓発ビデオ「あなたがあなたらしく生きるために 性的マイノリティと人権」
※註2 一橋大学アウティング事件
「差別の視線が同性愛者を死に追いやる」鈴木賢教授は訴えた。一橋大学アウティング事件-HUFF POST