四肢麻痺ライターの蛙屋(かわずや)です。障害者に対する差別というのはよく聞きますが、自分はあまり感じることはありません。
逆に「体が不自由なのに頑張っている」みたいに思う人がいて、そっちのほうが恐縮してしまいます。
自分はけっこう大人になってから障害者になったからか、面と向かって明確な差別をされた記憶がほとんどありません。まあ、心の中で思っているのかもしれませんが、さすがに今の時代あからさまに差別行為をするのには抵抗があるようです。
知的障害やLGBTなどは事情が違うかもしれませんが、身障への差別は是正されていると思います。しかし、区別はされます。「そのお身体ではちょっと……」といって断られることはあります。でも、自分はそれを差別と思ったことはありません。
向こうには向こうの事情もあるのだろうし、面倒見きれないこともあるのでしょう。健常者と同じではないことには慣れっこですから、「しゃーねぇなー」で終われます。
最近は「障害」を「障碍」と書いたりしますが、こんな細かいことを気にする障害者はあまりいないのではないかと思っています。
こういうのって、だいたい部外者のほうが気にして騒ぐんですよね……。
あまり気を遣われるのは好きではないのですが、配慮がないことに腹を立てることは時々あります。こっちの事情を汲み取ってもらえない場合です。これは意外と行政や病院で感じますね。
「いや、病院ってそういう配慮を一番するべき場所でしょうが!」と思うのですが、融通がきかないというか、殿様商売なんだな~とムカつくのです。きっと障害者に限らず、誰にでも横柄なのでしょう。
民間は大企業でもいろいろと要望に応じてくれるのに、公共関係はずっと遅れています。それはきっと政府がどうこうというより、そこで働く人間の意識がサービス業に徹しきれず、公務員や医者が持つ昔ながらの上から目線が抜けきっていないからでしょう。加えて煩雑な決まりが多く、いい意味での「例外」を臨機応変に認める軽さに乏しいこともあると思います。
看護師さんや医療事務員は親切なんですがね……。
身障者は好く見られることもしばしばです。
簡単な動作でも必死こいてやらなければならないので、それだけで頑張っていると見えるのでしょう。
平然と笑っているのは、「障害に負けないぞ!」という前向きでもなく、笑っていないとやってられないからです。こんな身体の状態で陰気になっていたら、もう首でも吊りたい気分になります。
自分はガサツな四肢麻痺なのでないことですが、精神障害者は無条件にピュアだと思われたりします。もしかしたらそのほうがキツいかもしれないですね。
障害者はストレスを感じないように毎日を送っているだけで、本当は時々暴れたくなるのです。ワグナーのワルキューレの騎行を大音量で流しながら、戦車で人も家もなぎ倒して走りたいと思ったりすることもあるのです。(これは自分だけか……。)
ちょっとだけ斟酌してくれて、あとは普通に接してもらえるのが一番ですね。
障害者と同じ目線や歩調になる必要はありませんし、聖人扱いすることもありません。
障害のあるなしだけで同じ人間なのだから、そんなに違わないのです。
ね、あなたも戦車で暴走したいでしょ?(やっぱり自分だけなのか……。)
(執筆 蛙屋(かわずや))