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うつ病患者は皆、死ぬ気になるか

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うつ 自殺

うつ病患者歴20年を過ぎてしまったライターの衛澤です。うつ病のほかにパニック障碍、社会不安障碍、睡眠障碍、摂食障碍を併発しております。お前は精神障碍の見本市か。

しかしながら、近頃はよい薬も出回っておりますし、その中で自分にとてもよく合う薬も見つかっていて、20年ほど前にうつで倒れて何もかもなくした筆者ではありますが、おかげさまで現在はどうにか他人さま並みの生活させて頂いております。

さて、巷にはうつ病を患った人間は手首を切ったり首を吊ったりして自死しがちだと思っている人が、とても多いようです。暗くどんよりと落ち込んで、床の中に引きこもり、いつも死にたいと願っている。何も手につかず仕事もできなくなるし、放っておくと死んじゃうから、死なないうちに早めに病院へ、というもの言いも時折聞かれます。

果たして、これ等はほんとうでしょうか。

うつ病と診断されてからまる22年のうつ者キャリアと6回の精神科入院の経験を通じて得た見地から、もの申してみます。

うつ病患者は皆、身を切るか

健常の人たちの中には何故かしら、うつ病と言うと自傷行為と直結して考えてしまう人が、一定の割合で存在するようです。ようく考えて頂ければお判りになります通り、うつ病患者すべてが手首やら腕やらを刃物で切る訳ではありません。確かに「切らなければいられない」という状態になる人はいます。しかし全員ではない。

たとえば筆者。

筆者は根本的に根性なしの意気地なしでございますので、痛いのとか苦しいのとか、大っ嫌いでございます。ですから、自死をちらりと構想したこともございましたが、その際も「苦しくなくて痛くなくて面倒くさくない方法で」という、世をはかなんだ者にあるまじき非常に自堕落な条件を掲げてその手段を模索したものでございます。

その時期というのが1993年頃でありまして、ちょうど世の中では「マニュアル本」が流行していた時節です。マニュアル本ブームの発端とも言うべき「完全自殺マニュアル」(鶴見済/太田出版)を勿論筆者も貧しきながら購入致しまして熟読し、独自の研究結果と考え合わせましたところ、薬物による自死が最も行うに易く一番確実だと確信しました。さりながら、実行には至りませんでした。

痛いのは厭だから「切る」以外の方法を考える人もいる、というひとつの例です。うつ病患者だって身体を刃物で切れば痛いのです。そして身を切る痛さが大好き、という人は稀れでしょう。自傷行為に走ってしまう人たちは、痛みを耐えてなお自身の身体に傷をつけるいうことをやめられなくなるという、大変な状況にある訳です。

もうひとつ知っておいて頂きたいのは、自分の身体を傷つける行為は必ずしも死を望んでなされる訳ではないということです。自傷行為の最たるものが自死であるという一面は、確かにあります。しかし、自傷行為に及ぶ人のほとんどは死のうと思ってはいないのです。

「切ると幾らか安心するから」切っているのであって、死ではなく苦からの解放が目的になっている場合がほとんどなのです。身体の苦痛を以て精神の苦痛を紛らわせるという、生存の瀬戸際であります。

体を切らなければ紛れない苦痛。それを取り除く、或るいは緩和しない限り、その人は傷つき続けるでしょう。身体の傷は心の傷でもあるということの、証左とも言えます。

うつ病患者は皆、みな死ぬ気になるか

うつ状態になると確かに生きているのが厭になります。生きているがために負わねばならない苦労面倒、そんなものに厭気がさして逃れたくなるのです。しかし必ずしも「生きているのが厭=死にたい」という訳ではありません。

うつ病患者がよく使う表現に「消えたい」があります。「死にたい」のではなく「消えたい」のです。これは「ここからいなくなりたい」ということであり、「ここ」とは「この世界」であると言っていいでしょう。そして「この世界」とは「この世」だけでなく、それを含む、自分が存在することができるすべての場所である、と言うべきでありましょう。

「この世」も「あの世」も含む、過去にも未来にも別の世界線にも、おそらく自分が存在し得るであろうすべての場所からいなくなりたい。もっと言うと「最初からいなかったことになりたい」のです。

自分という存在も自分が存在したという誰かの記憶も、何もかもが予め「ない」世界を望むのです。「死にたい」、つまり、現在生きている人生を中途で放棄したいというようなレベルの話ではないのです。死ねばすべてから解放されるとか、そういった安易な救いを求めるものでは、決してないのです。

人生を途中棄権ではなく、最初からなかったことにしたい。生まれなかったことに、自分の存在など世界の何処にも予めなかったことにしたい。それがうつ病患者が言う「消えたい」です。

健常者が想像しがちなのは、うつ病患者は自己否定するということです。自分を、自分の人生を肯定できずに、弱くなってしまっているのだと、健常の人は思い描きます。けれども、うつを患う人が実際に否定しているのは自分の人生ではなく、また自分自身でもなく、先程から申し上げております通り、自分が過去にこの世界に生まれてたったいまもなお存在しているという事実なのです。故に「死にたい」ではなく「消えたい」のです。

だから、この心理は自死に直結するものではありません。

しかしながら、消えてしまう、即ち生まれなかったことにするということは、なかなかできるものではありません。いまここにいる自分をいま直ぐにここからいなくする最も手っ取り早い方法は、やはり死ぬことであったりします。それ故に、次善の策として自死を企てるという人も、うつ病患者のすべてではないにしろ、確かに存在はします。

或るいは、重篤な状態のうつ病患者の多数は正常な判断を自分では下せないことがほとんどで、自分がほんとうに望んだ訳ではない自死を選択するという「誤った判断」を下してしまう可能性も、大いにあります。しかし、果たしてそれは「死ぬ気になった」と言えるでしょうか。

死ぬ気になれば何でもできるか

自死を図り、実際に死んでしまうことができる確率は、思いのほか低いと言います。意を決して自死を決行しても、大怪我をして生き残ってしまう場合が多いようです。

生き残ったとしても、自死を図る以前と同様にその後も生活できるとは限りません。身体や神経に何らかの障碍が残ってしまう人も少なくないのです。確実に死ぬ確証がないなら自死はするべきではないと言われる所以です。自死を企てて実際に死ぬのは難しいのです。

しかし、自死を企てねばいられない人というのも確かに存在して、けれどもその境遇にない人たちはしばしばよく言います。「死ぬ気になれば死なずとも何でもできただろうに」。果たしてそれは、ほんとうでしょうか。


先の項目で筆者も自死を企てたことがあると申しましたが、振り返ってみればこの時期はまだ元気なものでした。この自死企図の約7年後、筆者のうつ病は窮めて重篤な状態に陥ります。眠りから覚めても身体を動かせないほど気力も欠如し、何もできなくなったのです。

筆者もまた「消えたい」と望んだことがある一人です。うつ病というのは他の病気と同様に、症状が出ますと大変苦しい病気です。何もしていなくても、誰に何を言われなくても、自分はここにいてはいけないのだと、存在してはいけないのだと責めるものに絶え間なく苛まれて、つらくて泣き出したくはなっても、涙は出ません。身体が泣き方を忘失してしまっていて、大泣きすれば少しは楽かもしれないと思っても、それも叶いません。

それに重ねて、身体的な異常がまったくなくても頭痛があったりひどい倦怠感があったり、吐き気や痺れや関節痛が起きることもあります。それ等は身体的な異常によって起こっているものではないので、対症療法しか施し得ません。薬を服む、湿布を貼る。それができればいいですが、できたとしても痛みや痺れは取れない場合だってあります。

こんな状態ですから、人が日常的に行っていることでさえ何ひとつすることはできません。食事は食べるどころか用意することもできないし、テレビやラジオをつけることも本を手に取ることもまったく無理です。できたところでそれ等が発する言葉は体内に入ってはきません。

トイレに立つことすらできなくなる場合もあります。横になってしまったら身体を起こすことも難しい。筆者はこの状態に陥って、床を這いずってトイレに行ったことがあります。這いずる気力と体力があっただけ、まだましだったのです。這いずることもできずに横になった姿勢で用を足す人もあるそうですし、それでも排出したものを処理できればいい方で、床の上に垂れ流すしかない場合もあるのだと言います。一人暮らしで普段からあまり外部と連絡を取り合うことがない人だと、このまま亡くなってしまうこともあるでしょう。

ただ呼吸をしているだけで狂おしく、生存を以ても何もなし得ず、それどころか自分の世話すらできないのであれば、死んだ方がましだ。そう思うこともあります。しかし、こんな状態なのです。トイレに立つことすら、横になった状態から身体を起こすことすらできない人が、死ぬ気になったところで何ができるでしょうか。

うつ病がひどくなると、死ぬ気にはなるかもしれません。しかし、死ぬ気になっても死ぬことは勿論、ほかのこともとてもできはしないということは、もうお判りかと思います。「うつ病患者は自死する」というのは事実ではなく、多くの人が共有しているイメージに過ぎません。

では、もし身体を動かせる状態にあったとして、死ぬ気になれば何でもできるでしょうか。

答えは明らかにNOです。死を決意する――決意しなければならない状況にある人が、死ぬこと以外のことができると考えられると言うなら、その人は随分恵まれている人です。死ぬ気になったなどないのでしょうから。

死を決意した者が最後の気力と膂力を振り絞ることができるのは、死ぬことに対してだけです。一縷の望みを持って、そこに救いを求めて、やっと行うのです。ほかのことができるのなら、死ぬ気になる前にやっているはずです。死ぬ以外のことができなくなったときに、人は死ぬ気になるのです。

「死ぬ気になれば何でもできる」というのは、死ぬ気になったことがない人の、こうであってほしい、こうであるべき、という「希望」に過ぎません。ですから、死ぬ気になってしまっている人に「死ぬ気になったのならその気持ちで何でもできるだろう」というようなことを言ってはいけません。「この人は自分のことを何も判っていない」即ち「自分のことを理解する人などいないのだ」という絶望を与えるだけです。

死ぬ気になったら、死ぬしかできない。これを憶えておいてください。そして安易に他人に「死ぬ気になったら何でもできる」と言わないように気を付けてください。死ぬ気になっている人を死なせないようにするには、ただ休ませるしかありません。その休む唯一の方法とは「何もしない」をする、ということです。

何もしないで生存する、というのは幾らか難しくて、生存のためには少なくとも食事は必要です。もう少し欲を言えば、衛生環境を整えた方がいい。うつ病患者の入院加療とは、「何もしない」ができる環境を得ることです。病院にいれば自炊しなくても食事が出てきます。風呂も沸かしてくれます。どうしても入浴できずに、その期間があまりに長くて不衛生になれば看護師が清拭してくれます。「何もしない」という治療をしつつ生存できる環境が、病院にはあるのです。

うつ病患者も生きる、生きてる、生きていく

服薬なり入院なりを経て身体を動かす気になれるほど回復すれば、うつ病患者もそうでない人とほぼ変わりなく生活することができます。具合いがよければテレビや映画を観て愉しむこともできますし、音楽も聴けます。音楽も、人により好みはさまざまでしょうが、うつを患う人の中にはハードロックやヘヴィメタルを好む人が割りと多かったりします。元気なやつです。

筆者自身も或る国産ハードロックユニットが好きで、たびたびライヴに足を運んで会場で拳を振りまわしたり飛んだり跳ねたりしますし、そのための体力づくりにトレーニングジムに通ったりします。誤解しがちな世間さまには、うつ者はみんな山崎ハコとか森田童子とかアルバム「予感」以前の中島みゆきとかばっかり聴いてると思ってんじゃねえぞコノヤロー、みたいなことを思っております。筆者は「予感」以前の中島みゆき、大好きですけども。「うらみ・ます」とか、「エレーン」とか。

うつ病を患っていても体調がよければいろいろ愉しいし、希望も夢も持ち得ます。爆笑に次ぐ爆笑を重ねて腹筋を筋肉痛にしてしまうことだってあります。休養が必要だと言っても、自宅や病院にこもってぼんやりすることだけが休養ではありません。

重篤な状態から回復して多少動けるようになったなら、「愉しいことをする」ことが休養となり得ましょう。その辺は健常者と同じです。「あいつ、うつ病治療中のくせに旅行に行ってたぞ」なんて咎めるようなことを言う人がときどきいるようですが、見当違いも甚だしいというものです。

うつ病患者もそうでない人も、同じように生きておりますし、生きていくのです。同じように愉しいことや休養が必要です。できる範囲で働きもします。何ら変わりなく、等しく人であります。どうか、偏見を解かれますようお願い申し上げます。

(執筆 衛澤創(えざわそう))

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衛澤創(えざわそう) by
精神障碍者で虐待サバイバーで性同一性障碍でゲイというクワドラブルマイノリティ。
うつ病・パニック障碍・睡眠障碍・摂食障碍・社会不安障害を併発して精神障碍者3級。
ものごころついた頃から27歳で実家を出るまでほぼ日常的に実父の暴力に晒され、実家を出てからは15年かかって性別適合手術をすべて済ませた。
中5年はうつ病が重篤な状態になり、つごうまる1年と少しの入院を含む何もできなかった期間。もう大変。
現在は病状も落ち着き、ライター兼作家として地味に活動中。
主な仕事:
ホンシェルジュ「衛澤創の本棚」
DIVERSITY STUDIES「SOU!ルーム~衛澤さんのちょっとええやん~」
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