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何故かみなさんごっちゃごちゃ! 「性同一性障害」と「同性愛」の違い

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セクシャルマイノリティ

性同一性障害で、かつ同性愛者の衛澤です。このセクシュアリティは、性別違和がなくて異性愛の人には、2回ほど捻った感じで多少理解が難しいかもしれません。

筆者は出生時に女児と判定されて30年近く女性としての生活を余儀なくされてきましたが、現在は、筆者自身の意識は言うに及ばず、性別適合手術によって身体を改め、戸籍訂正審判を以て法律上の性別も訂正しまして、普通のおじさんとして生活しております。

おじさんとして同性愛者でありますので、男性が好きです。このように話しますと、結構な確率でこのように言われます。

「男性が好きなのだったら、女のままでよかったんじゃないの?」

高い確率でこのように言われてしまうということは、多くの人は「性」や「性別」というものを間違って捉えているということです。

本稿では改めて「性」と「性別」について、お話ししていきたいと思います。

「性」を語ろう考えよう

みなさんは「性」というとどんなことを思い浮かべるでしょうか。

ただ「性」と言って判りづらければ、「性教育」について考えてみて頂けるとイメージが掴みやすいでしょうか。

2017年は文部科学省の学習指導要綱改訂の年で、これについてパブリックコメントが募集されました。

教科書などには「思春期になると誰もが異性に惹かれる」などと書かれていて、これは文部科学省の小学校学習指導要領解説書による内容です。こういった、多様な性のあり方を無視した指導要領を変えて貰えるように、みんなでパブリックコメントを送りましょう、という運動が性的少数者の間で行われていました。しかし、集まったパブリックコメント全体の約1割が「教科書に多様な性についての記述を」というコメントだったにも関わらず、今回の改訂ではそれは見送られました。

このときの文部科学省のコメントが「LGBT(※註1)を指導内容として扱うのは、保護者や国民の理解などを考慮すると難しい」というものだったのですが、本末転倒もいいところです。国民の理解がないからこそ学校で正しく教えるべきところを、理解がないから教えられないよ、と文部科学省は言うのです。

多様な性について学校、特に小学校で教えることについては、一般市民の間にも懸念する意見があります。小学校でするには早すぎる話である、と。

多くの人たちは多様な性について学校で教えることを「性教育」と捉え、「性教育」については随分歪んだ認識を持っています。

それは「性」を卑猥なもの、猥褻なものと捉えているせいです。「性」は生きる者誰にも関係があり、人が生きるに当たりとても大切なことであるときちんと認識できていれば、「教えるべきでない」などというとんちんかんな意見は出てこないはずです。

大人がそのように歪んで捉え、忌避してみせるために子供がそれを、意識するしないに関わらず、見習って育ちます。大人が正しく「性」を捉え直して考え方を改め、毅然と性教育を行わない限り、この悪循環は続くでしょう。

「性」それ自体は卑猥でも猥褻でも、つまり、いやらしいことでも淫らなことでもありません。いやらしく淫らに取り組む人がいるだけのことです。「性」を卑猥だ猥褻だと非難するのは「私はいやらしく淫らに取り組んでおります」と公言するようなものなので、控えた方がよろしいかと思います。

タレントの杉本彩さんは「性」について、このように仰っています。

「性のことは『わいせつ』じゃなくて『たいせつ』」
「肉体を持って生きている以上、性のことで当事者でない人はいない」

この二つの言葉は、すべての人にお伝えしたい。「心」が部首となった立心偏に「生」きると書いて「性」です。性は心を生きることです。人が生きていく上でとても大切なことです。杉本さんが仰るように「わいせつ」ではなく「たいせつ」なのです。生きて存在するすべての人にとってそうなのです。

「性」について、日常から話すようにしましょう。話し合うようにしましょう。大切なことは何度でも話すといいです。口に出すことで自分の考えというものに整理がつきますし、自分が知っていること、知らないことが明らかになります。その過程を経ることで意識も智識も深まるでしょう。

そうすると、よく判るはずです。可能な限り早い段階から性教育は必要である、ということが。

人間の「性」って何だ?――性の4要素

人間の性について誰かに問えば、大抵「男性」と「女性」の二つが答えとして帰ってきて、それは身体の性別を指しています。大多数の人にとって「性別」とは「身体の性別」なのです。

しかし、人は実際には四つの性別をそのときどきで使い分けて生活しています。四つの性別とは次の通りです。

生物学的性

生まれ持った身体の性別です。男性型の生殖器を備えているか、女性型の生殖器を備えているかが判断材料となります。生殖器は身体の外から見える外性器だけでなく、内臓として存在する内性器もあります。

性自認

自分が認識している自分自身の性別のことです。自分が男性と思っていれば男性ですし、自分には性別などないと思っていれば無性です。「こころの性」などと呼ぶ人もいます。

性指向

恋愛や性愛の対象となる相手の性別です。個々人によって、自分の性別と同じ場合もあれば異なる場合も、その両方である場合、存在しない場合もあります。

社会的性

次の二つがあります。

・表現する性別

衣服・装飾品・態度・話し方などで表現される性別。

・周囲から期待される性別

男らしく・女らしくなど社会的に期待される性役割。

図1に三つの要素を解説しております。これに社会的性を加えたものが「性の4要素」です。これ等はすべて生得的なもの、生まれついてのものであり、後天的につくられるものではありません。特

性同一性障害

これ等四つの性がすべて一致して同じである人もいれば、全部がばらばらの人もいます。そしてその何れもが、当然のものであり特異でも異常でもありません。

筆者を例に挙げますと、次のようになります。

・生物学的性:女性

手術で乳房、子宮及び卵巣を摘出してしまい、外性器も男性型に形成しましたので現在の身体の性別はどちらかと言うと男性なのですが、出生時は女性だったので、筆者の場合は「生物学的性は女性」ということになります。

・性自認:男性

「自分は男性である」という意識はものごころついた3歳直前から一貫して続いておりますので、女性型の身体とそれによって社会から女性として扱われることが耐え難く(性別違和が強く)、性別適合手術に踏み切りました。

・性指向:男性

筆者は「アロマンティック」と呼ばれる恋愛感情を持たない者なのですが、性欲はあって間違いなくその対象は男性であります。世間には「男はみんなおっぱいが大好き」という文言が我がもの顔で横行していますが、筆者はおじさんでありながらおっぱいは好きではありません。おっぱい型のものには好きなものが多いです。オッパイミサイルとかおっぱいプリンとか。余談ですがもう少し詳しく言うと、その必要は何処にもないのにおっぱいのかたちにデザインしてしまうという発想がすきなのです。

・社会的性:男性

幼少時から女性向けの衣服や装飾品を自分が身につけること(女性型の性表現)に強い拒否感を覚えておりまして、小学校入学時にスカートの三つ揃いを買い与えられて記念写真を撮りましょうと言われて泣いて厭がったことがありました。当時は泣いて暴れるほど厭だったのです。いまはそうでもないです。
周囲の人たちも私に女性であること(女性の性役割)など望む人はなく、女性として生活していた頃も要求されるのは力仕事であったり汚れ仕事であったりでした。


こういう筆者のような者がいる一方で、次のような人もいます。

生まれつきの男性で男性の自認があり、男性が好きなのだけど、女性の恰好をしている人。テレビでよく見かける、たとえばマツコ・デラックスさんは上記のようになります。

生物学的性:男性
性自認:男性
性指向:男性
社会的性:女性

さて、みなさんはどのようになりますでしょうか。ご自身の性の4要素について、考えてみてください。

気を付けなければならないのは、性別はまったくの男性とまったくの女性の二つだけではないということです。

性同一性障害

図2をご覧ください。人間の性別を横型のバーで表しております。真っ黒が「まったくの女性」、真っ白が「まったくの男性」ですが、「まったくの」という人は、実はまったくと言っていいほど存在しません。

性はくっきりと男性と女性に分かれている訳ではなく、次第に色が変わっていくグラデーションのようなものです。誰もがちょっとどちらかに寄っていて、濃かったり薄かったりの違いは大いにありながら、誰もがグレーなのです。「幾分女性に近い男性」だったり「随分男っぽい女性」だったりするのです。

濃いグレーの人も薄いグレーの人も白と黒の丁度中間のグレーの人も、ほぼ白に近いのグレーやほとんど黒ののグレーの人もいるでしょう。「性」とはかように、まさに三人三様十人十色千差万別でありまして、「人の数だけ性がある」のです。

性自認と性指向

ここで、特に注目して頂きたいのが4要素のうちの二つ、性自認と性指向です。前項で申しましたように、性自認とは自分自身が認識している自分の性別、性指向とは恋愛や性愛の対象となる相手の性別です。

性自認は性同一性障害を考える際に欠くことができない要素です。生物学的性と性自認が不一致であり(これを「性別違和がある」と言います)、これが苦痛で生物学的性の外科的手段での変更を望む、つまり外科手術で身体のかたちを性自認に合ったものにつくり替えたい人が性同一性障害者です。

一方、性指向は異性愛・同性愛を考えるときに必要な要素です。好きな相手の性別が自分の性別とは違っていたら異性愛ですし、同じであれば同性愛です。

これが性同一性障害と同性愛の違いなのですが、お判りでしょうか。

性同一性障害者は「自分自身」の身体の性別(生物学的性)と「自分自身」が認識している性別(性自認)が不一致であるということがその要素です。恋愛・性愛の対象として好きになる相手が男性であろうが女性であろうがそのほかの性であろうが、本人と同じ性であろうが異なる性であろうが、関係がありません。
間違えてはいけないのは、「女性として生まれたけれども、女性が好きだから男性になりたい」とか、逆に「男性として生まれたが、男性を愛してしまったから女性にならなければ」というのは、性同一性障害ではないということです。

同性愛者は自分と同じ性別の人に恋愛・性愛の「相手」としての魅力を感じるから同性愛者なのであって、身体の性別と自認の性別が一致しているかどうかは関係がありません。一致していようが不一致だろうが、「好きになった相手」が自分と同じ性別なら同性愛です。
性同一性障害が問題にするのは「自分の」性別、同性愛が問題とするのは「相手の」性別です。問わなければならない性別の対象が、まったく違います。

このように、性同一性障害と同性愛はまったく別のものでありますので、この二つが重なる、一人の人間の中に二つの要素が同時に芽生えることもあります。それが筆者です。

筆者は女性の身体で生まれましたが、幼い頃から一貫して「自分は男性である」と認識しており、現在は男性として生きております。これが筆者の性同一性障害の部分です。

そして、筆者は男性でありますので、男性として男性が好きです。生物学的性ではなく性自認こそがその人の(ここでは筆者の)性別ですから、異性愛・同性愛を考えるときには性自認を基準に考えてください。身体はその人が着ている衣服、或るいは入っている容れものに過ぎません。それがどんなかたちであろうと本人の意識が変わることはありません。

性同一性障害にしろ同性愛にしろ、ときどき「何故そうなったのか」と問われることがありますが、理由などありません。ジュリエットがロミオに「何故にあなたはロミオなの」と訊ねるようなものです。なろうと思ってなった訳ではありませんし、好んでやっている訳でもありません。心ない人が同性に迫られたときに「そっちの趣味はない」というようなことを口走りますが、趣味でやっているのでは決してありませんし、そっちってどっちだ何処を指しているんだ。

「異性愛が普通」、「身体の性別と自認の性別は一致していて当然」と考えていると筆者のようなセクシュアリティは理解しづらいかとは思いますが、まずはこの間違った意識を改めることが肝要かと思います。異性愛は「普通」なのではなく、ほかのセクシュアリティと同様に沢山の恋愛・性愛のうちの一形態に過ぎませんし、生物学的性と性自認は一致している人もいれば一致していない人もいるのが事実です。

「性」を「知る」ことの重要性

知っているようで知らないこと、何だかよく判らなくてややこしいことというのは割りと沢山あります。それ故の誤解というものは、さらに沢山あるでしょう。「男性が好きな男性は、実は心は女性なのだ」とか「女性から男性に性を変更した人は、女性が好きなのだ」という異性愛原理主義的誤謬は実に多くの人がそれと知らずに犯しています。

それは「よく知らないから」です。よく知らないのに知ったつもりになって語るから、そのような誤謬に行き着いてしまうのです。間違った意識は間違った知識と正しいことを「知らない」ことから生まれます。

返して言えば、「知る」ことで間違いに気付くことも改めることができるということです。性のことについては勿論のこと、その他のさまざまなことについてもやはり同様です。先ず興味を持ってください。そしていろんな分野のいろんな事象を知ってください。そうなさることであなたの誤解や偏見が、少しでもなくなりますように。

おしまいに、2017年5月に東海テレビで放送されました「この性を生きる」と題されたCMをご紹介しておきます。登場するのは実在の性的少数者たちです。同年6月から動画サイトでも閲覧することができるようになりました。当事者が正直な気持ちを述べた、長くない動画ですので、一度はご覧ください。

YouTube東海テレビチャンネルより「この性を生きる」

(執筆 衛澤創(えざわそう))

資料

e-Gov「学校教育法施行規則の一部を改正する省令案並びに幼稚園教育要領案、小学校学習指導要領案及び中学校学習指導要領案に対する意見公募手続き(パブリックコメント)の結果について」

朝日新聞2017年3月31日「中学武道に銃剣道を追加 体育で「異性への関心」は残る」

_____________

※註1
ここでは性的少数者全体を表す語として用いられている。

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衛澤創(えざわそう) by
精神障碍者で虐待サバイバーで性同一性障碍でゲイというクワドラブルマイノリティ。
うつ病・パニック障碍・睡眠障碍・摂食障碍・社会不安障害を併発して精神障碍者3級。
ものごころついた頃から27歳で実家を出るまでほぼ日常的に実父の暴力に晒され、実家を出てからは15年かかって性別適合手術をすべて済ませた。
中5年はうつ病が重篤な状態になり、つごうまる1年と少しの入院を含む何もできなかった期間。もう大変。
現在は病状も落ち着き、ライター兼作家として地味に活動中。
主な仕事:
ホンシェルジュ「衛澤創の本棚」
DIVERSITY STUDIES「SOU!ルーム~衛澤さんのちょっとええやん~」
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