私は何回か手術のために、集中治療室で治療を行いました。そこで、集中治療室で見た過酷な光景や、どれほどつらい状態だったかを書きます。なお、集中治療室の光景を思い出したくない方は、読まないでいただきたいです。
私が治療を行っていた集中治療室では、面会時間がありました。しかしながら、面会時間といっても私の感覚では、30分も面会者と会った記憶がありません。また、面会者は衛生面に気をつけるため、マスクを着用していました。そのため、私からすれば、死期が近づいていると思え、不安になりました。
私自身、重体で身動きが取れず、鏡は見れませんでした。ゆえに、自分の体なのに、確認すらできない状態という恐怖に襲われます。しかし、私の姿が窓や金属にうつっても、負傷した姿にショックを受けるだけでした。
集中治療室には、時計もありませんでした。ただ、時計はあったのかもしれませんが、身動きがとれず、自力で時間の確認は不可能です。なお、私の時間の感覚は三日間、集中治療室で治療を行う行為は、一カ月間、治療を行っている感覚でした。
今思えば、集中治療室は、日光が入ってきませんでした。なお、地下室に集中治療室があったように、思えます。また、個室で治療を行っていたため、暗い室内に一人ぼっちという状況です。いわば、棺桶に閉じ込められた状況と言ってもよいほど、昼夜が分かりませんでした。
集中治療室は、大きな事故が起こるたび、新しい患者が入ってきました。そのため、常に病室が変わったり、病室が足りない時は、患者を寄せ集めなければいけない状態になりました。
集中治療室のベッドは少なく、手術も多く、常に医療関係者は慌ただしかったです。そのため、普通病棟の医療関係者より、緊張感があり、イライラしているように思えました。また、私がナースコールを押すと、医療関係者が怒ったり、ため息をつく光景を目にしました。なお、医療関係者の性格が悪いわけではなく、人手が足りず、心身がともに疲れているといった光景です。
私自身、常に誰かが亡くなる現場を目撃して、新たな患者が運ばれて、泣いている面会者と目があい、精神面がつぶれました。なお、私も重体のため首が曲げれず、目を背けることは不可能でした。また、人の死を何度も見てしまうと、自分も死ぬのでは? という恐怖に襲われます。いわば、戦争の経験はないものの、戦争で次々と負傷者が現れては、倒れていくといった状況です。
集中治療室では、途切れることなく音楽が流れていました。なお、音楽を聴いていると、ラジオの有線放送と思われました。そのため、最新曲や人気の曲は、覚えられました。ただし、流れっぱなしのため、熟睡は不可能です。ゆえに、集中治療室の有線放送は、幻覚を聴いているように思えました。
普通病棟に入院している頃は、飲食や入浴の楽しみがありました。しかし、集中治療室では、一人で横に向くことすらできません。ゆえに、体がかゆくても手は動かせず、飲食も体が痛んで苦痛でした。
医療関係者に迷惑がかかると分かっていても、ナースコールを押さないと自力で何もできず、痛みに耐えられませんでした。いわば、蚊や蜂に全身を刺されても、動けない状況です。
私が集中治療室で見た光景は、過酷な状況でした。いわば、私が健康であっても、何一つ助けられない状況です。なお、集中治療室で感じたことは、人手が足りないということです。また、集中治療室の現場を伝えることで、一人でも多く交通事故に気をつける意識を、もっていただけたら嬉しいです。
(執筆 城岸美稀)