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障害と共に~四肢麻痺障害と歩んだ12年

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四肢麻痺障害者

私は今、疾病による両下肢機能全廃1級、両上肢機能の著しい障害2級、これが障害者手帳の障害名、及び等級です。

具体的に言うならば、脳梗塞の後遺症による四肢の不全麻痺になります。その後、線維筋痛症による筋力低下、麻痺、嚥下障害が起こり、日常生活において常時、介護が必要な状態にあります。電動車椅子、嚥下障害のため経管栄養もしています。

家族は、もうすぐ二十歳になる息子との二人暮らし、毎日、ヘルパーさんに日常のお世話をして頂き、訪問入浴、訪問看護等を利用して生活しています。

朝、8時半に最初のヘルパーさんが来られます。洗濯、起床・排せつ介助、簡単な朝食の準備、夕飯の調理、献立は、勿論、味付け、素材の切り方まで自分で指示を出します。大好きな料理をすることは叶わなくなりましたが、自ら、献立を決め、細かい指示を出すことでヘルパーさん任せではなく、生きることの基本となる食に関する興味は失わず、積極的に関わっていきたいと思っています。

調理の後は、掃除をして頂き、サービス終了、このあと、日により入浴、看護が入ります。自宅のお風呂に入れなくなっても自宅に簡易浴槽を持ち込み、寝たまま、入浴出来るのは、ありがたいです。スタッフと会話しながら、リラックスした時間です。

訪問看護では、腸ろう部分の管理、変形した左指の手浴をしながら、曲げ伸ばし、体調管理全般の相談に乗って頂いています。

午後の一時、ヘルパーさんが来られ、昼食準備、介助、移動や排せつ介助、洗濯物の収納等をして頂きます。

夕方、三度目のヘルパーさん訪問、熱めのお湯で足浴をして頂くとお風呂に入っているように薄ら汗ばみ、リラックスします。その後、これも熱めの蒸しタオルで全身を清拭して頂き、さっぱりしたところで夕飯を頂きます。食後、口腔ケアー、服薬、経管栄養に繋いだ後は、就寝までベッド上で過ごすので経管栄養やうがいの準備は、ベッド上のテーブルに用意して頂きます。一人になったところでゆっくり、本を読んだり、PCをいじったり、TVを観たりして就寝まで過ごします。

外出は、ヘルパーさんと通院、買い物等、社会参加として月に二度、陶芸に出掛けています。以前より、外へ出る機会は格段に減ったものの、SNSで社会との関わりを持ち、陶芸の作品展出品を通して社会参加をしています。

四肢麻痺障害の苦しみのなかで

突然、左手足が動かなくなった時は、それは、想像を絶する苦しみでした。前日まで普通に出来ていたことが出来なくなり、何をするにも人の手を借りなくてはならなくなったからです。何故、皆には出来るのに自分には出来ないのだろう、自分の身体に突然、起こったことがどうしても受け入れられず、しばらくは、涙をこぼしてばかりいました。

リハビリに励んだものの、元の状態に戻るのは、難しいかもしれないと思われました。頭のなかでは、このまま、もし歩けなくなっても私という人間に何ら変わりはないし、それなりの人生を歩んで行けるはず、そう思ってもそれを受け入れることは容易ではありませんでした。何故、病気は私を選んだのだろうと思いました。しかし、一方で特定の宗教を持ってはいませんでしたが、何か大いなるものから乗り越えられると思われたからこそ、この試練が与えられたのだろうとも思いました。

人間、乗り越えられない試練は与えられないと聞いたことがあったからです。と言っても簡単に乗り越えられる試練ではありませんでした。それは、ある程度の時間と自分自身との心の葛藤が必要でした。

左手足に続き、右手足も動かくなり四肢麻痺の状態となりました。そこでもう、歩くことは難しいと納得したのです。リハビリを、良くなることを諦めたわけではありませんでしたが、もう歩けないと納得した時、ようやくこれまでの苦しみから解放され、安らかな気持ちになりました。

車椅子の生活でもやはり、自宅に戻りたいと切望しました。まだ、息子も八歳でたとえ、母親らしいことが出来なくても「いってらっしゃい」と学校に送り出し、「お帰り」と迎えること、宿題を見てやったり、話し相手になったりすることは出来ると思ったからです。そして自宅に戻るための準備に取り掛かりました。

退院して今までと大きく、生活は変わりましたが、友人はこれまでと同じように接してくれました。確かに手足は不自由になりましたが、自ら意思決定は出来ますし、感情もあります。心まで不自由になってはいけないのだと思いました。

再入院、転院を経て、自宅に戻って約一年後、訳あって夫とは離婚し、息子を連れて実家に戻りました。夫が末期のがんになったこともありますが、それ以前から私に言葉の暴力、身体的暴力があったため、この人を支えられないと思ったことが大きな理由でした。夫は、障害者を完全に馬鹿にしていましたし、罵られたこともあります。それに耐えられませんでした。これ以上、我慢していたら、自分が駄目になると思いました。


四肢麻痺障害からの再出発

実家に戻り、私は、夫から解放され精神的に楽になり、伸び伸びと陶芸やアーチェリ―などサークル活動を始めました。そして障害があっても自由に活動している仲間、ボランティアさんと出会い、心から楽しい時間を持てました。一人でバスに乗りサークルへ出掛けることにより、世界が広がって行きました。やがて若い頃から好きだった旅に再び、出てみようと思えるようになりました。SNSで障害者を対象にしたバリアフリーツアーを知ったことがきっかけです。車椅子でも障害があっても旅に出られるのです。新鮮な驚きでした。そのツアーには介護福祉士等の資格を持ったサポーターさんが同行されるので安心でした。こうして私は、再び、旅に出ました。

初めて出会ったのに同じ障害を持つもの、家族同士、すぐに打ち解けて行きました。勿論、サポーターさんは、細かい所まで気付かれ、何ら不自由を感じることなく旅行を楽しみ、再び、旅の感動を味わうことが出来たのです。

障害を持っても旅に出ることも出来るし、車椅子でも普通の人と同じように電車やバスに乗り、美術館や買い物に出掛けられますし、スポーツやサークル活動も楽しむことが出来ます。ただ、公共の交通機関も施設もバリアフリー対応になり、外出しやすい環境になって来たのは、喜ばしいことですが、車椅子優先エレベーターに我先に乗りこむ人達、障害者用駐車場に健常者が駐車している人達、バスで時々、そんなにしてまで出掛けるの? みたいな刺すような視線、心無い言葉を浴びて傷ついたこともあります。そうした場面に遭遇する度、ハードの面でバリアフリーは進んでも人々の意識はあまり、変わっていないと感じます。これから東京オリンピック・パラリンピックを控え、障害がある人もない人も誰にとっても住みやすい世の中であって欲しいと心から願っています。

九年前、アーチェリーを初めて間もなくでしたが、障害者スポーツ大会に参加しました。成績は、芳しくありませんでしたが、上肢に障害がありながらも精一杯、頑張り、悔いはありませんでした。障害区分別で金メダルと頂き、これからは、障害があっても車椅子でも堂々と人生の金メダルを目指そうと心に誓ったのです。この大会に参加したことは、その後の人生の大きな転機になったと思います。

数年後、障害が進み、アーチェリーやバドミントンをすることは出来なくなりましたが、今でも主に右手で陶芸は続けています。その陶芸は今年で十年目になります。無心で土と向かい合う時、人間、最後は、土に還るのだなと心が落ち着くのと物を作りだす感動と喜びがあります。

ただ、作陶するだけでなく、毎年秋の障害者作品展に出品することが目標となっています。千葉市身体障害者連合会長賞、千葉市社会福祉協議会長賞、努力賞を頂いたことは、これまでの作陶が認められた思いとサポートして下さる先生への感謝、自分への自信へと繋がっています。

四肢麻痺障害でも幸せです

車椅子での生活は、不便なことも多いですが、散歩している時、季節の風を感じ、道端の名もない花を愛おしいと思い、窓から見える四季の移ろいに心を動かされます。たぶん、それは、健康な時には気付くことのなかったことかもしれません。

幸せとは、お金があるとか社会的地位があるとかだけではないと思います。健康に越したことはありませんが、病んで身体が不自由になって人の優しさをより、感じることが出来るようになりました。そして私自身も少しは、人の心の痛みや苦しみに共感することが出来るようになったと思っています。

二十代後半、仕事に夢中になっていた時、膠原病という不治の病を患い、結婚、妊娠、出産は出来るのかと悩み、更に障害を負って車椅子の生活を余儀なくされ、これでもかと試練が立ちはだかりました。だからこそ出会った人達がいてかけがえのない経験もして来ました。両親、息子、日々の生活をサポートして下さる人達には、心から感謝しています。限りある命を愛おしく思い、今なら強がりでなく、心から言えます。障害を負って良かったとは、思いませんが、不幸とは少しも思っていません。むしろ、それはそれで幸せな人生を送っています。

来年、息子は成人式を迎え、新社会人となります。親の務めを少しは果たせたのかなと思いますが、まだまだ、見守っていきたいと思います。

これからも自分らしさを失わず、病気や障害とうまく付き合いながら自分の人生を生きていけたらと思っています。

(執筆 佐藤清佳(さとうさやか))

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佐藤清佳(さとうさやか) by

膠原病、脳梗塞後遺症、線維筋痛症などの病を抱え、福祉サービスを受けながら息子と自宅で生活、電動車椅子に乗り、経管栄養をしています。
陶芸が生き甲斐となっています。