今回は私がなぜライターになろうと思ったか、そのきっかけや経緯について書きます。
私は作業所で在住区の、自立支援協議会の活動に3年程前から参加しています。
障がい当事者やその家族のサポート、情報提供等の活動を、他の事業所と合同でしているんですよ。
主な活動内容は主に3つあります。
ホームページ内容について協議し、どうやったら自立支援協議会をもっと当事者や、支援者にホームページを知ってもらえるか、協議し、内容が決まり次第、私がホームページの更新担当なので、様々な毎月の会議のスケジュール等を毎月更新しています、とても大変な作業所の1つですが、私はやりがいを感じて作業しているんです。
年4回の新聞発行は
編集後記等の記事を自立支援協議会の一員である私達も書いています。
夏と冬の余暇活動は内容は定番化しているので、夏はホテルに行ってバイキングをして、冬は商店街に自分達で買い物に行き、海鮮丼を作っています。
毎月の協議は大変ですが、当事者である私達作業所の人々が活動に参加し、当事者が声をあげて行く事が大事な事である事に気づきました。
例えば、昨年施行された「障がい者差別解消」についての記事を書いたり、「相模原殺傷事件」についてヒアリングをしてみたり様々な活動の中で、私は誰かに支えてもらっているから、今度は自分が誰かの役に経ちたい、と強く思いました。
誰かの役に経ちたい、と思ってもなかなか実行に移せず、悶々と日々を過ごしていた時ネットで偶然、ラブハンディというメディアを知りました。
元々私は文章を書くもの、読むのも好きなので、自分がライターになって発信すれば良いと思い、ラブハンディに応募したところ、ライターになる事が出来ました。
当事者の思いや声を発信したい。
それは勇気の要る事です。それでも当事者が声をあげなければ、そしてその声に気づいて、社会に発信しなければ、障がい者当事者にとって良い社会になるのは自論ですが、難しい事だと思います。
小さな悩みはどんどん膨らんで、大きな悩みに変わってしまう、そんな気がします。
私自身、ネット友達はいますが、学生時代の同級生とはほとんど疎遠となっている、と言う悩みがあります。
疎遠になった直後は社会人だから疎遠でも仕方ないと思っていたのですが、たったそれだけで、外に出るきっかけ、相談相手を失ってしまいました。
孤独と言う小さな悩み、誰にも気付いてもらえず大きくなるばかりです。
誰かの「声」気づく事、それは誰でも出来る、支えだと私は思っています。
障がい者の声をきちんと反映出来る社会になる事を祈っています。
(執筆 ルナ)